研究

一度目の博論コロキアム。あれこれとダメ出しされ、へとへとになる。この行事は私の専攻では、博士号取得の過程で欠かせない関門だ。入試以来のぴりぴりしたムードに予想以上の緊張を強いられた(学外の院生も、意図的に作られたこの雰囲気に驚いていた)。 …

この期におよんでビブリオが抜け抜けのぼろぼろなことに気づき、大学図書館に籠もる羽目に。 この寒さなのに暖房が入っておらず、指先が凍えきり震えもとまらない。それなのに調べても調べても終わらず、泣きそうになる。だいたい本を借りたら読みっぱなしで…

コロキアムの準備として、ジャック・コルザニの6巻本『アンティユ・ギュイアンヌ文学史』を細かく読んでいる。焼け石に水というか、もう全方面において完全にヤキが回っていて何もかも間に合わない。 昨日のル・クレジオ講演では、すぐ目の前にC氏が座ってい…

ポール・リクール『記憶・歴史・忘却』(上)久米博訳、新曜社

個人の記憶の現象学と集団的記憶の社会学の関係については、相変わらずよくわからない。アウグスティヌスの時間やアルブヴァクスの記憶についての難解な思想をたどった箇所をじっくり理解するだけの暇はないので、今のところはリクールの以下の示唆だけを頭…

フランス語のレジュメを書くのがつらい、ほんとにつらい。日本語だったら何だって書けるのに、どうしてこうも立ち止まってしまうんだろう。去年英語論文を書いていた時以来の苦痛だ。 周りの院生を見ていると、私ほどは苦労していない様子(たぶん)。やはり…

ジャック・デリダ『尖筆とエクリチュール』白井健三郎訳、朝日出版社、1979年

以前読んだ『他者の耳伝』と同じく、エクリチュール・女性・真理をめぐるデリダ独自のニーチェ論。デリダの女性(性)論はとても興味深い半面難解なので、誰かに解説してほしいとよく思うが、日本のデリダ研究者は男ばっかりだし、大文字のことにしか注目し…

スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』を再読。

サティー(ヒンドゥー教徒の寡婦殉死)について書かれた部分を読むと、直前に読んだ高橋哲哉『靖国問題』の内容と妙にダブってくる。天子様に捧げた息子を戦地で亡くし、靖国神社に祀ってもらうのは悲しむことではなく、喜ぶべきことという考え方と、サティ…

ハナクソ日和

ドリル音がダダダというたび、ビクッとして胸が苦しくなるので、カフェ・ノマドと化している。 午前はとるものもとりあえず、家から320歩の珈琲館(最寄り)。 12時から1時はつかの間静寂が戻るとき、その間にあわてて食事や雑用を済ませる。 地震や噴火の被…