フランス語のレジュメを書くのがつらい、ほんとにつらい。日本語だったら何だって書けるのに、どうしてこうも立ち止まってしまうんだろう。去年英語論文を書いていた時以来の苦痛だ。
周りの院生を見ていると、私ほどは苦労していない様子(たぶん)。やはり卒論、フランスでのDEA論文などでの訓練の蓄積が大きいということか。私もここ数年、自主DEA論文?を書いてやろうと目標だけは立てているが、結局日本語の書き物優先で、毎年お流れになってきた。
自分の語学のできなさを師匠に愚痴って、「作家はモノリンガルなもんだよ」と慰められたことがある。そう言いながら別の時には「日本人で一番フランス語ができるのは作家の堀江敏幸」と言っていた(フランス著作権事務所の人からの伝聞だそうだ)。この場合、フランス語ができるっていうのは、いわゆる見事な通訳とか発音がよくてぺらぺらとかいうことじゃなく、より彩りに富んだ微妙な言い方に長けているということだそうである。さすが本物の作家。要は「作家はモノリンガル」なんて比喩的な言い方にすぎない。こんなんじゃ所詮日本語の文脈のなかでぶつぶつ言ってるだけで、世界に羽ばたけないよなー。
それでも多少は進歩していると感じるのは、昔はmais(しかし)をcependantと書くだけで、何となくかっこいい気がしていたものだけど、今はそのくらいじゃ全然何とも思わなかったりすることだ。今かっこいいと思うのは中性代名詞のyとかenがさりげなく挿入された文(できないけど)。en ce qui concerne(〜に関して)とか comme le fait remarquer〜(誰々の指摘によれば)とかはもう飽きたが、Il n'en est pas moins que (それでもやはり〜だ)やsous le joug de (〜の支配下に)などがうまく使えた時は、我ながら決まったーと思ったりする。
はー、こんな小手先のフィギュールでどうにかしようとしてるようじゃ、『ドラゴン桜』の対決にも負けるというものだ。
それにしてもセンター試験の英語リスニング導入だが、これだけ大規模な試験で公平な条件を作るのはむずかしいからあまりふさわしくないのではないか。語学はしゃべって聞けなきゃ意味がないという説は部分的には正しいが、それだけではない文字としての外国語にも奥の深さがあるし、聞いて話す能力を鍛えるなら別の場がいくらでもある。まあ、そういう場が受身でいると持ちにくいのが今の日本なんだろうけど。