ペドロ・ルイス『ゆらゆらと漂流するプティゴアーヴの子供』(2009)

日曜日、フランコフォニー・フェスティバル会場の日仏学院に、作家ダニー・ラフェリエールに焦点を当てたドキュメンタリーを見に行く。
ダニー・ラフェリエールはハイチのポルトープランス生まれで青年期にケベックに移住したフランス語作家。
もともとジャーナリストでキャリアの長い作家ながら、不勉強にも昨年メディシス賞をとるまで知らないでいた。

Comment faire l'amour avec un nègre sans se fatiguerというタイトルの小説でセンセーショナルにデビューし、派手で人を食ったようなところはあるが(他にも爆弾のような性を主題とするEroshimaとか、日本人は怒るよ(怒笑))、53年ハイチ生まれということで当然ながら壮絶な過去を生きている。
エドウィージ・ダンティカのケースとも似て(多くのハイチ人がそうなのだろうが)、デュバリエ政権の圧政から逃れるため家族バラバラになって亡命する。
全員が合衆国へ移ったエドウィージの家と違い、父親はNYブルックリンへ、ダニーはケベックへ。
父は頭がおかしくなって亡くなる前、ブルックリンとマンハッタンをつなぐブルックリン橋を何の意味もなく毎日必ず渡っていたそうだ。

ハイチの現在と過去の映像も多い一時間ほどのこのドキュメンタリー。
(やたらと元気そうなフランケチエンヌとの愉快なやり取りの場面もある)
授業で学生に見てもらうのにちょうどいいと思うけれど、DVDは手に入らないだろうか。
会場で誰かに聞いてみればよかった。

映画に続き、地震以後のハイチをめぐるレジス・ドゥブレの講演会があった。
もともと行政機構も何もなかったハイチには「再建」より「構築」の言葉がふさわしく、新たな国家を作るにあたり、一国支配でなく、国連の監視下に多国籍で援助をする必要がある。ハイチを国際社会全体の孤児と考え、そのような援助のための、先進10カ国ぐらいでの新しいステイタスを作りたいという内容。

こちらの知らない情報も多く参考にはなったが、ハイチへの発言には発言者の政治的スタンスが大いに反映していることが往々にしてあるので、すべてそのまま真実として受け取るわけにもいかない。
「フランスの左翼知識人」レジス・ドゥブレにかんしてもまた然り。

アリスティド大統領をアメリカとフランスが結託して追放した経緯について会場から尋ねられると、アリスティドはアメリカ滞在以降金の魅力にとりつかれ、国内で反対派を処刑する完全な独裁者になってしまったと断じていた。
また現在のハイチ政府には人材がおらず、根本的に能力が欠如しているとし、今選挙をしたところでまるで意味をなさないと語った。
何度か「大使の前で失礼ですが」とフォローはしていたが、一列目に座っていた駐日ハイチ大使の心情はいかに。


私がハイチを作りなおすのに第一だと思うのは、道路建設などではなく、今いる住民に30年間ぐらいどいていてもらって(マイアミへでもどこでも一時的にいて)、現在ひどい状態のハゲ山になっている国土全部に植林して数百年前のように緑を完全復活させてから戻ってきてもらうというもの。
少なくともそうすればここまで災害弱者とならずに済むだろう。
もちろんそんな計画は不可能に決まっている。
一部の人間のデザインや理念どおりに国など作れるわけなく、個々の人間の欲望やさまざまな偶然が介入するのは絶対に避けられない。
理念万能を疑わない人は意外に多いが、当たり前のことだ。