貴乃花とモガリ

同じ星の人が、貴乃花相撲協会役員入りを歓迎する旨書いていたが、私は違う意見だ。
貴乃花は確かに超一流の横綱で、私は人生において彼から学んだ大事なことがいくつかある。
彼を見ていると、「持続」ってことを考えてしまうな。
貴乃花の「持続」durerと「内−持続」en-durer。
しかしその横綱としての類まれな能力は、人間としての大きな欠落とセットであると思う。
天才なのだからしょうがない。
彼は強くて、しかも真正直に相撲をとっていたかもしれないが、社会的な意味での思考はできない。
相撲協会の理事長になど、今以下のどんなことになるのか想像するだに恐ろしい。

そういえば貴乃花も兄弟確執でヒール扱いされた時期があったけれど、朝青龍がヒールなのとは全然違う。
もともとヒールというものにシンパシーを感じない質なのだが、貴乃花はヒールだろうが構わないが、朝青龍はダメだ。
勝負の世界といえ、勝ちへのこだわりしかないところが幼稚すぎる。
勝利というより、ただただ面子、格上であろうとする虚勢のようなもの。
一般人にもいるけれど、苦手だ。
人に敬意を示すのを躊躇したり、格上に見せるためにさっとできることをもったいぶってみたり。
本人のこう見てほしいという意図とは別に、人はその態度から未熟さしか感じないことに気づけない愚かさ。

録画しておいた河瀬直美監督『殯の森』をどこか違和感をかんじつつ観る。
奈良の風景がすばらしいから、それだけでも価値はあると思うけれど。
遠景の茶畑が直線を並べ、そこに豆のような人物たちが動いているところとか、草を風がわたって、緑から白っぽい草色に変わっていくところとか。
砕けた西瓜の果肉を、おじいさんが娘さんの口に押し込めるところは官能的。
(まあでも、砕けた西瓜とはいつもそういうものだ)

奈良というのは、実際に訪れたときも思ったけれど、現実の日本ではないような日本(あまりに古すぎて?)ともいうべき田園風景が面白く、いい場所だと思う。
偶然、玉木宏の『鹿男あをによし』でも、飛鳥の石舞台周辺がロケ地になっていた。