ストーリー・オブ・ザ・ブルース

最近、最初期のブルースCDをよく聞いている。ジャズとかブルースを好んで聞くなんて、これまでなかったこと。2003年に出されたポール・オリヴァー編のこのCDは、ブルースと同一起源を見出せるようなガーナ・フラフラ族のグリオによる「ヤルム(塩)賛歌」に始まり、録音最初期のミシシッピジョン・ハートブラインド・ウィリー・マクテルからジャニス・ジョプリンボブ・ディランなど現代までをクロノロジックに辿ってゆく。
ブルースの歌詞というのは、「仕事がない」とか「男に捨てられた」とかとことん暗いのが特徴だけど、ベッシー・スミスやバーサ”チッピー”ヒルの低くて艶のある声に乗ると何とも味のある音楽となる。歌というのは体が楽器だから、どうしても人種(というか肉体条件)が関係してくる。彼女たちの声には日本人にも白人にも出せない色があって、そこが魅力的。ボサノヴァもしかり。
もともとブルースは、19世紀後半、アメリカ南部ミシシッピおよびテキサスの綿花プランテーションで働く奴隷たちの間で生まれたといわれるが、それ以外に吟遊詩人的に各地を渡り歩いたミュージシャンもいたようだ。12小節に3度くり返される詩行が特徴のこの黒人音楽は、後に20世紀前後ニューオーリンズクレオールたちを中心に起こるジャズという新ジャンルにも影響を与える。W.C.ハンディの「セントルイス・ブルース」は有名だが、チッピーとルイ・アームストロングのセッション「プラット・シティ・ブルース」にもその結節点が見える。
同じ頃、カリブ海を南下したマルティニックでは、白人階級・ベケたちがパリから取り入れたメヌエットやカドリールなどの舞踊曲を聞いた黒人たちがビギン(旋律としてはベル・エール)を生み出す。カリブ海を隔てて南北のプランテーションでは、同じアフリカ出身奴隷(解放奴隷)によって、似たような動きが起きていたわけだ。
19世紀に生まれたこの音楽、ビギンは1930年代パリに輸出され、大ブームを起こす。パリとニューヨークに多くの黒人たちが移住(滞在)した戦間期のこの時期、ジャズとビギンは相互に影響を与え合った。少し調べたかぎりでは、パリ15区にあったミュージック・ホール、「バル・ネーグル」がその拠点であったように思える。ここはアンティーユの人々のたまり場であった他、アフリカ系の芸術に憧れるシュルレアリストたちやコクトーら芸術家も通いつめていたようだ。