Suzanne Lacascade, Claire-Solange, âme africaine (続き)

クレール・ソランジュはマルティニック出身という設定ながら、アンティユへの帰属意識はほとんど示されない(彼女の白人の父はガリエニの盟友とされていて海外勤務が多く、クレール・ソランジュもマヨットやコモロなど植民地を転々としながら育った様子)。彼女が頑固なほどに称えるのは熱帯全般の気候、植生のすばらしさであり、アフリカの血の誇りだ。その点ラカスカードはまさにネグリチュードの文学者といえるだろう。後半、第一次大戦が重要な背景となるが、当時「血税」として動員された植民地出身の兵士たち(セネガル兵など)が書き込まれていることは、植民地出身の書き手ならではの風俗描写で注目に値する(プルーストのサロンでの会話にもちらっと出てはくるが)。
それにしてもフランス人家庭に居候しさんざん世話になりながら、言いたい放題のフランス批判、アフリカびいき。マリーズ・コンデは「フランスで人種差別を経験し、」などと書いているが「どこが?」である。ポル夫人もダンゼルも、差別するどころか苛めを受けているとしか思えない。小説としては、クレール・ソランジュのおかしなぐらいの誇り高さが面白くもある(だいたいアフリカ人、アフリカ人と自称しているけど、クレール・ソランジュは1/4以下の混血なので見かけは白人に近いはず。肌色は「ベージュ」とされる)。確かに混血女性にこうした強いキャラクターを与えた点、先進的な作品だろう。
そしてくり返される「太陽」のシンボリズム。Claire-Solangeとは明らかに「明るい太陽」につながり、熱帯からフランスに来たために衰弱死した母Aurore=暁が発展、開花したイメージとなっていると思われる。以下内容。
XII,XIII フランス北部ヴァランシエンヌに発つクレール・ソランジュ。陰鬱な気候、太陽、フェカンプの海岸などの描写。熱帯の太陽と比較し、フランスの太陽が自分の過去(ボリヴィアの川べりの眩しい思い出など)を殺すと感じる。
XV クレール・ソランジュをフランスに引きとめようとするダンゼルにそんなのは愛じゃないと反発。アンティユ、ブルボン島、モーリシャス島など海を越えるクレオールたち、植民者に象牙やゴムを提供し、死んでいった「野蛮人」たちの話、トンブクトゥに派遣され熱病にやられた行政官の母方のイトコの話を続けるクレール・ソランジュに、ダンゼルは歴史の話はやめるよういう。
XVI,XVII 第一次大戦の勃発。パリへ戻り、情報得たいと伝令気取りの娘に、父は植民地の内戦とこの戦争の違いがわからぬ子を哀れむ。フェカンプには白人しかおらず、平穏を保っているが、アフリカ娘は平和のために戦える国家(国民)の潜在力を自らに感じている。動員の張り紙が海の向こうへ送られていたら、黒人たちは祖国のために祈るだろう。
XVIII モロッコで武器を取った女たち、この戦争で前線に立つセネガル兵への思い。煮え切らないダンゼルにクレール・ソランジュは出兵をそそのかす。パリの病院で働きながら、戦地に発ったダンゼルに初めて気持ちを打ち明ける手紙数通を書くが送らない。自分の中のアフリカ人としての誇りとフランス人としての誇り。私が愛しながら、私を排除しようとする祖国。
XIX クレール・ソランジュの気持ちを知り、ほだされるポル夫人。夫人の善意の気遣いに息詰る叔母ミミ。素っ気ないミミを熱帯の植物ブロメリア(地味だが、下の方がほんのり赤い)と比べるミミの兄(父エチエンヌ)。
XX 冬、クレール・ソランジュは21歳に。アフリカではない黒人の国の栄光を謳ったマイナー詩人、ムスロンを読む。叔母ミミとの会話:私は野蛮、文明ともヨーロッパとも無縁[189]。音信不通だったダンゼル生存の情報に、アカシアの香りが初めて熱帯植物以上の喜びをもたらす。ダンゼルは左手を失い、左のこめかみに傷を負う。再会した二人は互いの変化にショックを受ける。厭世的になったダンゼルはクレール・ソランジュをもはや受け止めない。尊大なアフリカ娘の心は開くのが遅すぎた。
XXI プラタナスを葡萄と取り違え、手を伸ばしながら死んでいったモロッコ人の話。父の海外でのミッションが長引く一方、ダンゼルは弱っていく。転地療養のため、オーヴェルニュへ。車中ダンゼルの呟き:「クレール・ソランジュ、ぼくの明るい太陽」。クレール・ソランジュはフランスの太陽が自分を変えたと思う。熱帯で植物は勝手に生えてくる。フランスでは植物に自由を与えない。自分もここで刈り込まれ、枝打ちされた。
XXII 熱帯を思わせるオーヴェルニュの自然の激しさ。さんざしの香り。去年は神の愛だけが自分をフランスにとどめていると思っていたが、何という変わりようか。今は愛のためにヨーロッパでの囚われの生活、表は平穏、裏は流血のブルジョワ生活を受け容れようと思っている。もう生のパイナップルも椰子の木も見ることはないだろう。叔母たちの盲目とセンチメンタリズムを軽蔑し、優美な逃亡者だった母、すべてを与えすべてを受け取った母を思う。自分が男だったら熱帯の女しか信用しない。ひとつ以上の季節を愛せるヨーロッパの女たちなど信用しない。以前は嫌いだったが病院時代になじみとなったスミレの花をダンゼルのために探し集めるクレール・ソランジュ。散歩に出かけ、道ばたでダンゼルとキスをする。
XXIII,XXIV 哀れみを恐れたダンゼルは、ポル夫人がもともと義弟のエチエンヌをフランスに引き止めるため、自分とクレール・ソランジュを結婚させようと画策していたのだから、植民地に帰れと勧める。誤解のままにクレール・ソランジュは帰国しそうになるものの最後に和解。「アフリカの哀れみ」はあなたたちの言う哀れみにはうまく翻訳できない感情だ、という。かぐわしく、情熱に燃える太陽としての哀れみ。上ってゆく同じ太陽がいつも私たち二人を目覚めさせてくれる[219-220]。こうしてヨーロッパに移植されたクレール・ソランジュはしばしばアフリカの夢を見る。藁葺きの小屋で寝起きする夫婦の姿。