ジャメイカ・キンケイド『川底に』平凡社

冒頭の「少女」を英語で読んで衝撃を受けて以来、続きも読まなければと思い続けて数年、ようやく全編を読む(今頃読んだなんて、恥ずかしくて知人にはいえない)。
お母さんから娘へのワンセンテンスの説教に続くのは、夜の深さ(丸かったり、平べったかったり、部分的に青だったり)。夜のなかで厚ぼったくなる熱帯の花々。ひとりの女との結婚生活(でもそれを語っているのは少女)。その女とは背の高い優雅な母親、でも次にはその大きな母親が少女のことを見ている。というか、少女がその母親になっている。母親は樹皮でできた服を着て、耳に棒を入れた男に立ちはだかれてもほほえみで殺せる。爬虫類の母、海底に並ぶ母とわたし、胸から上が見えないほど巨大な母。母と離れて、深い穴の縁から落ちていきそうな少女。水平線を見て、「地球は唇が薄いなあ、」とか思っている。霧雨と見分けのつかない埃。自分の記念碑として、埃でできた何かを建てること。女の子なのに地勢への果てない興味―河口、沖積土、地球の下の粘土、森、火山、海、無脊椎動物の屍骸…。生まれたての赤ん坊でも、古代都市でも、宝物を探す男でもないものの美しさについて。新しくて名前のつけようもないけれど、口のなかをみたしてゆくわたしの名前。黒さについて。

落ちてくる黒さはなんてやわらかいのだろう。それは沈黙のうちに落ちてきて、それなのに鼓膜が破れそうだ、なぜなら落ちてくる黒さ以外の音が何も聞こえないので。黒さは芯を切っていないランプの煤のように落ちてくる。黒さは目に見えるが、それなのにそれは目に見えない、なぜならわたしにはそれが見えていないということが見えるから。黒さは小さな部屋をみたし、広い野原をみたし、一つの島をみたし、わたし自身の存在をみたす。黒さがわたしによろこびをもたらすことはないが、わたしはその中にいて良かったと思うことがよくある。黒さはわたしから切り離すことができないが、わたしがその外に立てることもよくある。黒さは空気ではないが、わたしはそれを呼吸する。黒さは大地ではないが、わたしはその上を歩く。黒さは水でも食物でもないが、わたしはそれを飲み、食べる。黒さはわたしの血ではないが、それはわたしの血管を流れる。黒さがわたしの何層にもなった空間に入ると、ただちに意味のある言葉と出来事は小さくなってゆき、やがて消えてしまう。こうしてわたしは消滅させられ、わたしはかたちを失い、自由に流れる物質の広大さに飲みこまれてしまう。黒さの中で、こうして、わたしは消されてしまった。わたしはもう自分の名前をいうことができない。

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