最近、立ち読みをしていて泣いてしまうことが多い。今日は放送大学テキスト「フランス語Ⅲ」に引用されていたエメ・セゼール『帰郷ノート』の一節を読んでいて、深く共振してしまい泣く。以下がその一節。
「おお、友愛に満ちた光よ/すがすがしい光の源よ/火薬も羅針盤も発明しなかった者たち/蒸気も電気も一度として飼い馴らせなかった者たち/海も空も探検しなかった者たち/だが、彼らなしでは大地が大地でありえなかったような者たち/大地が大地をさらに/捨て去るがゆえにいっそう有益な瘤/大地のもっとも大地であるものが守られ成熟するサイロ
わがネグリチュードは石ではない、白日の喧騒に投げつけられる耳の聞こえぬ石ではない/わがネグリチュードは大地の死んだ目の澱み水の上翳ではない/わがネグリチュードは鐘楼でも伽藍でもない/それは地の赤い肉に根を下ろす/それは天の熱い肉に根を下ろす/それはまっすぐな忍耐で不透明の意気消沈を穿つ。」(砂野幸稔訳)
原文は尖った石のような、焼けた砂のようなグサッという感じの文体。昨日たまたま、セゼール本人による詩集冒頭の朗読を録音で聞き、涙する準備はできていた(?)。
数日前、プルーストのマドレーヌのところを人前で朗読したが、朗読は文体の雰囲気を出すのがむずかしい。次はクレオールの少し皮肉でコミカルなコントを朗読する予定で、これのほうがもっともっとむずかしいだろう。実際のクレオール語語り部がしゃべっているのなど聞くと、すごいリズムとすごい掛け合い、すごいスピードだから。
それにしてもパパ・セゼールは、フランス本国の暴動をどのように見ていることか…