「ポリフォニー:関口涼子/朝吹真理子/渋谷慶一郎(東京日仏学院)

詩人、小説家、作曲家による朗読と音楽のパフォーマンス。
フェルナンド・ペソアの婚約者への手紙を素材にした関口涼子の詩のテキスト、Adagio ma non troppoを、ふたりの作家が声を違えて朗読する。
一方がフランス語で、一方が日本語で、ひとりの声は淀みなく低く、もうひとりは甘やかなのにギクシャクしていて、ふたつの言語が重なったり、時間差でズレたり、役まわりが決まっていたかに見えた言語が瞬間入れ替わったり、緩やかなスピードで読まれる詩句を、まったく同じ詩句が加速して追い越していったり……。
ひとりの声は左のスピーカーから、もうひとりの声は右のスピーカーからのみ出力される。
(私は右の方に座っていたので、どうしても朝吹さんが主パートのように聞こえた。座る場所によって聞こえ方が違うのが面白い)
そこにさらに被さるノイズのような音や別のテキストの声。
スリリングで心躍る朗読だった。

後半は詩と朗読について出演者たちが語った。
テキストじたいは、待ち合わせをめぐっており、日付がひんぱんにあらわれる。
ここでは言葉がフレームとしてあること、音楽は詩のページにたとえれば余白の部分、フレームとしての言葉をくり出すことにより、空間を構築してゆくこと(朝吹)。
取り入れられた(メインテキスト以外の)テキストは、テキスト外でもありながら、テキスト内に入れ子状にあるともいえる。そうしてテキストが増殖してゆく(関口)。
読む時は意味を排し機械にようでありたいが、人間なので一滴の抒情が混じってしまう。しかしそれは中途半端なものでなく濃縮された抒情(朝吹)。
討論のほうは、はっとする指摘というより、なるほどそうだなと納得する内容だった。

しかしパパやゴーゾーおじちゃまがいかにも後見人然と途中参加していたのはどうなのかなあ。
一滴の抒情よりも、その庇護的な環境が気になった(個人が詩について考えてる場で)。
というより、あれはせっかく大詩人が客席にいるんだからという、他の観客向けのサービスか。
そうか、だとしたら納得だけど。

関口涼子さんて、誕生日が一緒だと発見。
悪い意味でヘンな人しか同じ誕生日の人はいないと思っていたので、こんな才能の塊みたいな人と一緒とわかってうれしい!