リスボン地震

ヴォルテールの「カンディードまたは最善説」5章、6章あたりには、1755年11月、ポルトガルリスボンで起きた大地震津波にかんする記述がある。
今回の地震によく準えられているようで、人と話していて確認したくなったのだが。
記述としては面白い。荒波に船が砕け、恩人を見殺しにして溺れさせた悪徳水夫が開き直って「自分は日本に行って、(平気で)四度も踏み絵を踏んだ」とうそぶくところなんか。
3万人の死者を出したこの天災を鎮めるのに、異端者の火刑がなされる(そのただ中で最善説=オプティミスムのパングロス先生も絞首刑、カンディードは百叩きの刑で死を免れる)というのが驚きだが、これはヴォルテールによるフィクション(というか間違った情報)で、そこまでの史実はないらしい。

じっさい作者は現地を訪ね、富める者、貧しい者を等しく襲う天災が彼をして無神論に向かわせたといわれている。
当然対置されるのは、神の怒り、天罰を恐れるという考えだけれど、同じく巨大な天変地異を前にしつつも、こうした問題設定じたいに、自分としてはぴんと来るものがない。

大きな(ひとりの)神が上のほうから罰をあたえるというのが感覚としてわからないし、だからそれを反転させて、神はいないと主張するのもまたよくわからない。
言葉をうしなった後にわいてくる畏れのような気持ちは、唯一の創造主というより、土や水の隙間のようなところへ向かっていく気がするなあ、私は。

リスボン地震については、先週の新聞で歴史学の川北稔先生も話題にしていた。
18世紀のこの天災がきっかけとなり、現代につながる経済的不振が始まったとするもの。
だから大問題ということではなく、仮に日本がポルトガルのような状況になったにしろ、その状況のなかで豊かさを見出せるはずというのが川北先生の発言の主旨だったと理解する。