「詩人たちの春」(続き):日仏学院

何度か足を運んでいる「詩人たちの春」のシンポジウム。
昨日は仕事の帰り、だいぶ遅れて到着したら、運よく和合亮一の朗読「詩の礫」をはじめから聞くことができた。
ツイッターで(進行方向と反対向きの断片で)読んでいた福島をめぐるこの長編詩、塊として、声として聞くと驚くべき迫力がある。
特に「余震」という言葉の背後で、地面を走る何億もの馬たちのイメージ。
後で知ったのだが、相馬は千年来つづく野馬追いの神事がある場所なのだ。
疲れて立って聞きながら、それでもこれを聞きにきてよかったと思う。

水曜はアンヌ・ポルチュガルと小池昌代のお風呂をめぐる詩の話を聞く。
そういえば私も銭湯や温泉で、自分が裸なことは完全に忘れて、人の裸をさりげなくじろじろと観察しているような気がする。