ジャン・ユンカーマン『老人と海』

チョムスキー9.11』『映画 日本国憲法』のジャン・ユンカーマン監督のもと1990年に制作されてから、今回ディレクターズ・カット版として20年ぶりの公開。
音楽は小室等、演奏は坂田明ほか。
ささやかな規模ながら全国を回っているが、ぜひ多くの人に観てほしい、いい作品なので勝手に宣伝したいと思う。

日本の最西端、台湾とわずか110キロしか離れていない(那覇とは500キロ)与那国島のカジキ漁師の日々を追ったドキュメンタリー。
全長7メートルのサバニ(無線もついていない小型の木のくり舟)を操る80代とは思えないその身軽さ、釣れても釣れなくても変わらず漁に出ては老妻の待つ家に帰ってゆくシンプルで充足した日々は感動的だ。
同じ漁港の周りにいる人たちがいい。
漁を始めたばかりの若者たち、話している言葉は与那国方言がすごすぎて半分ほどしかわからないが(ところどころ字幕あり)、カジキの尖った鼻先に神経が集まっていて、そこをうっかり触ると反応してすごい勢いで跳びはねるとか、漁師たちならではの具体的な話し方がいい。

そしてじいちゃんや他の漁師が格闘する巨大なカジキの迫力と魅力(かわいい顔とぴちぴちの体)と、そこにあるフィリピン海の怖いくらいの波と青さ。
写真では何度も見たことがあるが、銅鑼が鳴り響く中あそこまでにぎやかに盛り上がるとは知らなかった海の祭り、ハーリー祭も見ごたえがある。

あとで気づいたのだが、この映画で焦点をあてられている、そして映画公開から一カ月後に漁に出たまま戻らなかった糸数繁さんは、与那国を知るための必読図書のひとつである沢木耕太郎の「視えない共和国」(『人の砂漠』)にも出てきていて、すでに知っていた。
映画のパンフに糸数さんは沖縄本島に近い伊平屋島の生まれとあったので、戦前戦後の台湾との密漁で潤っていた与那国に稼ぎにきたのだろうと思っていたが、本を読み返してみて、よそから来て島(沢木本では薩南諸島とある)に立ち寄った漁師がそこの女性と一夜を過ごしてできたという私生児としての生い立ち、その後だいぶ経って父親に認知され与那国に引き取られた経緯があったことを知る(子供を取られたお母さんはどうなったのか)。

伊平屋島沖縄本島の北側だから、糸数さんのお父さんも糸数さんも先島諸島の端から端までずいぶん遠く離れた島々を巡って生きてきたものだ。
その後自分も漁師になった糸数さんは台湾にも何度も出稼ぎに行っているのだ。
そして大金を稼いで家を三軒もったり、昭和30年代には農家に転業してサトウキビを作ったり、それでもやっぱり最終的には漁師に戻っている。

昭和前半までの与那国の話を聞いていると、本当に台湾と近いというか、むしろ一体化していたような印象を受ける。
双方の漁船同士も仲間感覚で、互いの島に気軽に立ち寄っては買い物などしていたようだ。
沢木耕太郎が訪ねた70年代には、医者の少ないこの島に朝鮮人の薬売りが来て大流行りしている話が出てくる。
戦後には闇取引は禁じられたが、最近になり花蓮との間にチャーター便が就航し、与那国中学の子供たちが台湾にホームステイするなど独自の交流が再開し始めている。

上映は東京では、今週まで渋谷のアップリンクで、引き続き9月25日から10月8日までアップリンクXで毎日14:30から。
熊本、千葉などでも上映。

ところで余談ながら、ついカリブ海と沖縄を重ねて見てしまうのだが、カリブ海の漁師といえばまさにヘミングウェイの『老人と海』だ。
(監督のユンカーマンも、キューバと与那国の島としての規模や海流のながれ方に類似を見ていたようだ)。
そして、宮古八重山が先島なのは、大アンティーユ+小アンティーユがアンティーユなのと同じだなと考えながら、ふと「先島」ってante isle, アンティル、アンティーユなんだ!と思いつく。