プロジェクトの頓挫、『群島=世界論』ほか

しばらく温めていた聞き書きスペシャルプロジェクトのため、朝一番に始動するも、あえなく不可能だということがわかる。
二年前、あんなに張りがあった声、こんなにも力がない。
歳をとるというのは過酷なことだ。
いろいろ聞くことを考えていたのに、かえすがえすも残念。
しかし他人の時間をまずは尊重せねばいけない。

がっかりしたのもあって、ますます体調が悪くなる。
4月から緊張とストレスにさらされどおしで、夏以降は外のきつい冷房にもさらされどおしで、腹部の圧痛がまったく取れないままだ。
最近は外出前には自分で臍周辺にお灸(カマヤミニ)を据えて痛みをしのいでいて、これがやけどぎりぎりのスリルがなかなか面白いとはいえ、すぐまた圧痛は戻ってくる。
まずは疲れを取らないと、ちゃんと活動できそうもない。

つまみ読みのまま一年半ぐらいも置いていた『群島=世界論』をようやく熟読し始める。
寝転んで読むには、二の腕の筋肉がだいぶ不足。
学生に勧めたら、学生のほうが読み始めてしまったので、まずいまずいと焦っていた。
ルイジアナのバイユーの、自分にはなんとも新奇だった風景と匂いがいきなり蘇ってくる。
木々に絡みついているとろろ昆布のようなものがあの辺一帯では特徴的だったが、あれをティランジアというのかー。
バイユーという単語は不思議な響きだと前から思っていたが、インディアン・チョクトー語だったのかー。
そして次には、あまりに霊的な世界だからといとこに行くのを止められた加賀の潜戸の話。

新聞読書欄の奥泉光の書評を読んで、トマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』も読まねばならない気がしてくる。
ずっと前にはピンチョンを面白いと思えなかったんだけれど、そうか、そういう世界なのか。
しかし大著を読む時間というのは、一年のうちあまりに限られている。
そう考えるとまた胃痛がしてくる。