中島らもの教え

苦しい、幸せ、苦しい、幸せ、苦しい、幸せ……が、お盆前までの夏の胸の内。お盆を過ぎると例年は楽(ラク)、サミシイ、楽、サミシイに変わるのだが、昨日、今日のこの猛暑には苦しい、サミシイ、苦しい、サミシイという気持ちだ。
冷房に当たり過ぎたせいで頭痛がひどくなり、目の奥がじんじんして近くを見るのがひどくつらい。
頭痛にはチョコレートと濃いコーヒーが効く熱帯産品体質なので(腹痛にはバナナが効く)、最近できたデザートカフェ・ユウタに行ってみた。
前から目をつけていたフォレ・ノワールという洒落こけた名のケーキを頼む。
リキュール漬けでないダークチェリーがふんだんに使われたチョコレートケーキで、予想以上の美味しさ。
ほどよい明りの落ち着いた店内で本を読む。
「文学を志すなら目がつぶれるまで本を読め」(by中島らも)が20年来私の座右の銘なので、目がちかちかしている時でも本を読まねばならぬ。
久しぶりにモーリス・ブランショプルースト論を読んだ。次のところにしみじみ共感。

失われた時を求めて』は[空虚にかたちを与えることができていない『ジャン・サントゥイユ』とは]逆であって、このぎっしりつまった途絶えることのない作品は、星のようにちりばめられた諸点に充溢としての空虚を加え、かくして今度は、それらの星たちを不可思議にきらめかせることに成功したのである。なぜならもはや星たちには、空間の空虚の涯しない拡がりが欠けてはいないからである。かくてこの作品は、もっとも稠密にしてもっとも実質的な持続を通して、もっとも非連続的なものを表現することに成功した。書くことの可能性が彼に到来するあの光にみちた瞬間の断続を表現することに成功した。


こんな細かい文字を読んでたのにもかかわらず、フォレ・ノワールとコーヒーでだんだん痛みが晴れてゆく。
頭痛が治ると考えればコーヒー500円、ケーキ450円も安いものだ。
ギモーヴという、苺味のふわふわのお菓子まで出してくれたし、居心地のいい店だから、たまには読書しに来るとしよう。
フランス語ではマシュマロのことをギモーヴと言うんですよ、と店員さんに教えてもらった。
私が知らないフランス語というのはじつに多い。

洒落こけた話題と写真で、いかにもブログになってしまった。