与那国島から

与那国島に送金して、池間苗著『与那国語辞典』を送ってもらう。
うれしいことに、与那国に伝わる口承の民話を書きまとめた『与那国島異聞』をオマケとしてつけてくれた。
読んでみると、これがかなり面白い。

その『与那国語辞典』だが、あいうえお順に日本語標準語の見出し語がつき、右側に与那国語のカタカナ・ひらがな混じりの表記と発音記号が書かれている。
1ページにだいたい15語ぐらい、370ページぐらいだから、5000語程度の語彙がおさめられているということか。
象形文字「カイダ・ディ」については、この本では触れられていない。

以前、与那国民俗資料館を訪れた時、池間栄三著『与那国の歴史』は買いもとめたのだが、横に並んでいた『辞典』のほうは重いので買わなかった。
後になってやはり読みたくなったものの、アマゾンにもbk1にも出ていない。
東京圏の大学図書館では、明学の戸塚キャンパスに一冊あるくらい。
それで現地まで連絡をとり直接買うことになったのだけど、やっぱり送ってもらってよかった。

ところで『与那国の歴史』を読んでいると、あらためて琉球が、そして島津藩が島民に課していた人頭税の過酷さのことを思う。
寛永12年(1635年)、島津藩琉球王府に増石を強い、これがやがて人頭税のかたちをとり、与那国の農民にも影響する(1637年)。
1635年といえば、奇しくもグアドループとマルチニックがフランス領となった年。
この年を起点とすれば、ふたつの島において奴隷制は1848年までの213年間続いたことになるが、無理な取り立ての厳しさから多くの自殺者や人減らしの犠牲者を出した与那国の人頭税(実体としては奴隷制ともいえる)は明治36年1903年)まで、つまり266年かけられ続けた。
それにしても廃藩置県島津藩がなくなったのは明治の初めなのに、その後の数十年、人頭税はいったいどこへ納まっていたのか。

疑問といえばもうひとつ、与那国の人々には、かつて宣教師としてやってきたポルトガル人やオランダ人の血が入っているというのは本当なのか?
インターネットで見かけた記述だけど、あやしげなサイトだったから根拠がな(と、人のサイトのことを言えるのか)。



台風通過で家のなかもすごい風。
スーパーの袋やいろんな書類が室内をクルクル飛び回っているのが気持ちよい。