魔のオルリー・シュッド、極悪非道のエール・カライブ3

11日早朝7時頃オルリーに着くと、エール・カライブのインフォメーション・カウンターにもう一度足を運ぶ。
4日に発つ時、本来払う必要もなかったホテル代、タクシー代、通信費などの賠償請求を申し出たのだが、ここでは何もできないのでクレームはすべてパリの事務所へと言われ、住所と電話番号を書いた紙きれ一枚渡されて済まされたのだ。
あの時はまずは出発しなければと急いでいたけれど、こちらはすぐに帰国する外国人。
日本から手紙など書いても無視される可能性大なので、責任者を訪ねて説明を求め、ダメ押ししておくつもりだった。

カウンターにはふたりの女の職員。その一方に声をかける。
n「責任者の人にお会いしたいんですけど。先日3日にあったこれこれの件で」
こちらも当然にこやかではないが、相手はいきなり切口上だ。
「責任者は今おりません」
n「何時に来るんですか」
「さあねえ。わかりません」
n「電話で聞いてください」
「そんなことしない。ずっと待ってれば」
横から見覚えのある女が口を出す。
「先週のことはね、警察が悪いの。警察もそう言ったんだから」
n「あなた方が出発を拒否したんでしょう。自分がPrefectureまでタクシーで行けと命じたのを忘れたんですか」
「警察のせい。それにビザがいらないとわかった時、あなたはもういなかったから」
これはまったくお笑い草の台詞で、私がいなかったのは市内に戻ってあちこち駆けずり回っていたからで、ようやく駆け込んだ大使館からの抗議の電話で彼らはビザ不要を知ったのだから、そこにいないのは当たり前なのだ。
いくら調べてくれといっても、全職員の誰ひとりとして自分から確認しようとする者はいなかったのだから、こちらが動かなければ永遠に間違いを犯したままだったろう。
n「責任は感じないんですか。本来は仕事として知ってるべき知識でしょう。とにかく責任者に会わせてほしい」
「警察のせい、すべて警察のせいよ」

あまりの卑怯さに呆れかえり、「責任の欠如」とか「法律違反」とか「職権乱用」とか「権力の超過」とか、知っているかぎりのフランス語を言ってみたが、相手はまったくそれらの言葉に反応せず、「はいはいはいはい、ごもっとも」と馬鹿にしきったような態度。
そのうち、子供か動物にでも言うように「いいかげんにしなさい」(サシュフィ)と繰り返され、「サシュフィかサヌシュフィパか、決めるのはこっちのほうだ」と怒り狂ってしまったのだが、相手のほうも逆ギレし、いても無駄だから帰れと追い出しにかかる。

だんだん怖くなってきた。
どこまで行っても相手は話の内容を聞く耳をもっていないし、考えるということをしないし、こちらが盾にしようとしている「理」などというものがどうやらはなから通用しない。
もちろん理がすべてとは思っていないが、こここそそれが通用するべき局面だし、そもそも西欧ってそういうものが勝つ場所なのではなかったのか。

後始末をうまく進めるための戦略として足を運びながら、結局シッ、シッと追い出されるようにしてカウンターを後にすることになり、百害あって一利なしだった。
オルリーを出ると、外の気温は零下2度。
マルチニックとの気温差はもとより(向こうを出てくる時35度だったので37度差)、怒りの火にガソリンを注がれた心情との温度差にまったく対応できないでいる。

まずは出発できたのだからよしと考えてもよかったのに、無駄にいやな思いをしてしまった。

気分の面で救いの手が差し伸べられたのは帰国後。
折よく「帰国早々悪いけれどおごるから」とノーギャラの仕事を頼まれたので、渡りに船とお願いごとをする。
四半世紀をパリで過ごしたこの友人、外国人の私が舌足らずなフランス語でクレームの手紙を書き送ってもナメられるだけだろうが、それよりずっとすばらしいものが書けるはずだ。
はたして彼は、わくわくするほど高尚でタカビーな賠償請求の手紙をあっという間に書いてくれた。
(「le préjudice moral et psychologique」っていう表現が最近のクレームで流行りだから入れておこう、とか、とても参考になった。しかし一流翻訳者にこんなことさせてよかったのか)
もちろんエール・カライブのあのふてぶてしい面々のことを思い浮かべると、立派な手紙であろうがなかろうが、関係ないかもしれない。
でも少なくとも私だったら、こんなに頭がよさそうで高圧的な手紙が来たらビビってすぐさま対応すると思う。
それまで頭の中で罵倒語ばかりが巡っていたのを止められたのが何よりだった(サロパーでクルクルパーとか無知でビッチとか、どのみち手紙の表現には生かしようもないものばかり)。
手紙の返事が来るかどうかはわからないが、とにかくエアメールを投函してだいぶすっきりだ。