マルティナ・クドゥラーチェク『鏡の中のマヤ・デレン』(2001年、オーストリア・チェコ・スイス・ドイツ)

見ないで済ますわけにはいかないマヤ・デレンのドキュメンタリーを見に、駆け込みでシアター・イメージフォーラムへ。

マヤ・デレンことエレオノーラ・デレンコフスカヤはロシア革命勃発の1917年、キエフユダヤ人家庭に生まれた。幼少時にアメリカ合衆国へ移住。
シュルレアリスムの影響色濃い6本の映像作品を残している。
またハイチのヴードゥーに強い関心を抱き、1947年から55年の間に4度現地を訪れて映像を撮ったほか(後に『聖なる騎士たち』として編集)、自らマンボ(女司祭)も務めた!

『鏡の中』は、マヤと交流のあった芸術家たち(ジョナス・メカスやキャサリン・ダンハム)の証言とともに、マヤの撮った映像を紹介する。
『聖なる騎士たち』はもちろん、若い演者が披露する太極拳とハイチの太鼓、アントニー・チューダーのダンサーたちの動きと天体の動きの重なり、ハイチの海での葬儀風景などさまざまな映像に表れるマヤの独特の視点が興味深い。
マルティナによる、『聖なる』で撮影された場所や関わった人々の現在の映像も貴重だ。

証言から、相当に奇抜な人物であったとわかる。
あるハイチ人によれば、海での葬儀で今さっきまでそこにいたマヤが急にいなくなった。
…と、海の遥か彼方から彼女がこちらに手を振っている。
あるアメリカの友人の結婚式では、ヴードゥーをおこなおうとして止められると、怒りのあまり巨大な冷蔵庫を担ぎ上げ、部屋の隅から隅まで飛ばした。
同じ証言者は、パパ・ロコの恵みを授けるといっていきなりスーツに火をつけられ、別の時には呪いをかけられたという。

後年、日系アメリカ人の音楽家テイジ・イトーと再婚し、44歳で急死した後、その遺灰は夫により東京湾に撒かれたという。