キム・ギドク『サマリア』(2004)、『受取人不明』(2001)

長年見たいと思いながら、縁がなくて見られないでいたキム・ギドク(金基徳)の『サマリア』をついに見て、本気で泣いて頭が痛くなる。
ふたりの少女=娼婦(クァク・チミンハン・ヨルム)の可憐さ、苦しみのあまり狂気に傾いでゆく父親(イ・オル)の姿だけでなく、細部のすみずみまでがすばらしい。

宗教的な暗示に満ちた章タイトルのひとつ、「バスミルダ」(インドの聖娼婦)の魅惑的な響き。味つけ豚骨(?)で無造作に頭をかく少女チェヨン。下着姿のチェヨンと着衣のヨジンが路地を逃げてゆくシーン(一度目は陽気に笑いながら、二度目は血まみれで)。ベッドの布団の下から脱いだ服や下着をするすると捨ててゆくシーン。公演の家族の彫像の横に並んで座る少女たち。時々挟み込まれる遠景のショットの美しさ――落葉が紅葉したソウルの町や霞んだような田舎の山や河原。なぜか山間の小屋に置かれた緑の水をたたえた古い舟。くり返し現われる石のモチーフ。

誰かが指摘していたけれど、血と結びついた石つぶてのイメージはやはりキリストのイメージと結びついているんだろう。河原の石に塗られた黄色のペンキがつくる線模様が強い印象。
殺すために石を握ったその同じ手が、意外なほどほっそりした指で墓参り用の巻き寿司を巻く(墓参りのお供えとして「投げる」ことに驚き)。家の中の父は外とは別人の繊細さで目玉焼きを作り、美味しそうなスープを掬う。山小屋で父娘が分けあうボウルいっぱいのじゃが芋も瞬間の幸せに満ちている。
ぎりぎりのところにいる父娘の間に肝心な言葉は何も交わされない。
すべては動きで示されるのがすごい。

『受取人不明』も良作だが、あまりの悲惨さに打ちのめされてぐったり。
二作品見て、構造が優れているというよりは、強烈な細部の集積が濃密な世界を創り上げている、そういうタイプの監督との印象をもつ。

(この作品でも『サマリア』でもバックに「ジムノペティ」が流れているのは、よほど好きなのかもしれないけれど、わかりやすくノスタルジックなムードが喚起されて月並み感は否めない)。