川上未映子『ヘヴン』

重苦しく、考えさせられる小説だった。
そしてこのところ必要から何冊か読んだ現代日本の小説では、いちばん文章がいい。

苛めというのは深く現代的なテーマながら、自分としては弱い分野だ。
というのは、自分が育つ過程で見聞きした覚えがなく、経験としてわかっているとは言いがたいから。
それは私が年寄りすぎて時代がそこまで複雑化していなかった上に、首都圏とはいっても所詮は田んぼに囲まれた純朴な土地柄ゆえ、との説明もできる。
だが果たして本当にそうなのか?

時代・世代を問わず、自分より弱い者を叩くという傾向のある人間はいる。
動物の集団を見ていてもそれはある。
自分の思春期の頃にもそれはあったのに、自分には見えていなかったということはないのか。

誰でも苛めの標的になりうるとはいうけれど、自分は最初の標的とはなりにくいだろうという気がするのは、私はいわゆるKYではないと思うからだ。
これは必ずしもいいことではない。
なぜなら、KYでない人間というのは他人のKYを、つまり調和しない人間を敏感に識別してしまうのだ。
このことじたいは何ら害悪ではないにしろ、苛めの萌芽の状態であるように感じている。

中学時代も高校時代も、学校では友人たちに囲まれて楽しい時を過ごしてしまった。
文学の徒としては、周囲に違和感をかんじながら孤独に屋上で本を読むような青春を送るのが正解なような気がして恥じていたが、多和田葉子も私と同じようだったらしいことを書いていたのでひとまず安心する。

じつは川上未映子の小説を読むのは初めて。
これ以前の大阪弁の文体に正直近づきがたかった(これをいうのはさまざまな意味で憚られる)。
最近あちこちで書き散らしているエッセイのコケットリーとガールズトーク的つまらなさがいやだった。
だからようやく手にとった『ヘヴン』が力のある魅力的な文学作品だと思えたのはとてもよかった。