徒労と安堵

川上未映子の『ヘヴン』を重い気持ちでのろのろと歩き読みしていたら遅くなり、ル・クレジオの講演がすでに満席になっていて入れなかった。
徒労感のまま風が冷たい中をだいぶ駅のほうまで歩いて、ふと45rpmのマフラーをしていないのに気づき、同じ道を目を皿のようにしながら引き返す。
数ヶ月前、ギミリオーというもう一生行かない確率の高いフランスの小さな村の唯一のサロン・ド・テに大好きな夏用45rpmを置き忘れてショックを受けたばかり。
これでは論文提出直前はマフラーを2本以上なくすというジンクスをまた強固にしてしまう。

この時期の大学キャンパスは銀杏のこがね色があまりに美しく、小さな子供連れが幸せそうに落ち葉の雪合戦や写真撮影に興じている。
(銀杏並木が色づくこの風景を自分の故郷では見たことがないので驚いたと書いている人がいて、東京生まれの者としてはそのことに軽い驚きを感じる)
この時すでに体調はかなり悪い。
両手足が氷みたいで、実感としては体温28度ぐらい。
そういう時に大学というのは広すぎて、歩いても歩いても元いた場所まで戻れなくて悪夢を見ているようだったが、安田講堂の植え込みにミルキーピンクにクリーム色の縞が入ったマフラーがふわりとかけてあるのが目に飛び込んでくる。
自分でもびっくりするほどの安堵感。
マフラーを見ただけなのに、それだけで温かく感じる不思議。と、わざわざそこへかけてくれた誰かへ感謝。

写真に撮っておけばよかったような、いい光景だった。

ところであまりに手が冷たいので、ファー襟を丸めてマフのようにして手を入れていたのだが、なぜマフラーからラーを取ると首用から手用に変わるのかが昔から謎だ。