凡庸なマクシム・デュ・カンとチューボー並みのフロベール2

この日本語訳の本には章ごとに細かな旅程が地図で示されていて、第八章にはカンペールからラ岬までの思い出深い地名が見える。
特にオーディエルヌAudierneについて書かれたところはぜったい読みたい。
それで第八章を読もうとすると、それは扉だけで終わり、次のページはもう第九章。
じつはこの本はフロベールの担当した奇数章のみで構成され、マクシム・デュ・カン担当の偶数章はすべて割愛されていたのである。
ということで、調べ物があって大学図書館に不法潜入したついでに原書をあたってみると、たくさんある版のほとんどがフロベール分のみの構成だということがわかる。
ようやく80年代に出たデュ・カン分の偶数章込みの版を見つけて、第八章を開いた。

…結果としてわかったことは、デュ・カンの書いた部分は観光ガイドブックにも劣るそっけない記述で、何も得るものがないということだった。
オーディエルヌについては海と砂が美しいとか、凡庸なことしか書かれていなかった。
そういうことか、デュ・カンの凡庸って。

それまで聞いたこともなかったオーディエルヌは、バスの乗り継ぎで立ち寄った小さな港町。
偶然に知り合った中国系ドイツ人の女の子に誘われて、塩味のガレットを齧りながら朝市を巡った。
大皿でパエリアが煮えていたり、葡萄の葉につつまれた中東風の食べ物があったり、ありとあらゆる動物肉のサラミソーセージが並んでいたりと、異国情緒のある市場だった。
インという名(「ライン河」の意味だそうだ)のその女の子と目の前に港を見ながらお茶をしたすごく印象深い、でもきっともう一生行くことのない場所だ。

ところで今さら素朴なことをいうようだが、旅行記というのは面白い。
ある人の旅の記録を読んで、自分が几帳面さに欠けるゆえにきちんと記録をつけてこなかったことに気づき、急に焦る。
遡って考えてみると、すでに去年の与那国旅行の日付すらわからない(なぜか手帳には何も書かれていない)。
3年以上前にどこへ行ったかもわからなくなりつつある。
(細かな断片はやたらと鮮やかなのだが)
文学者として反省し、これからは偶然思い出すことがあったら書き留めておこうと誓った。