不自然な自然

動物を飼うということは、非常に不自然な自然なのです。不自然の極みにおいて、自然をもらっているのです。 ―― 高橋睦郎

マンションのベランダで植物をやるのもそうだと思う。
鉢植えを置いた家の中でカナブンやトンボが孵るのも。
でも不自然な自然だっていいではないか。
都市で生活するってそういうことだ。
…といいつつ、最近このちっぽけさに疲れてきたことも事実。

都市の建造物と緑の融合といえば、少し前からパリでパトリック・ブランというボタニストが流行っている(確かこの名前だったと思うが平凡過ぎて覚えられない)。
ケ・ブランリーの外壁を作った人で、最初大きな壁面いっぱいびっしりと本物の草が植わっているのを見た時、ピナ・バウシュの舞台装置かと思った。
たまたまアルテ・チャンネルで特集を見て、この人がパリ中でやっている仕事の一部と知る。

昨日は台風でふたつの大学が休校になる。
わざと窓を少し開け、早朝から午前いっぱいどんどん強まる風の轟音を聞きながら、時々まどろんだり、好きな本を読んだりする幸せ。
これも都市のちっぽけな自然体験。
台風って、天気情報でいわれている進路の通りに本当にやって来て、本当に過ぎてゆくのが実地でわかって、いつもそのことに感動する。
前夜から雨合羽とブーツとリュックを玄関に置き、戦闘モードで備えていたのだが、出かけないでよかった。
加藤周一自選集』を1937年から1947年まで読む。
今日は古本屋で買ったキャリル・フィリップスを読んでいたらどうもいい香りがするので、ページを嗅いでみたらマテ茶の香りだった。
私はタバコのにおいが染み込んだ本というのはどうしても読めないのだが、こういうのはいい。
マテ茶好きの人の所有だったのだろうか。