八ッ場ダム問題

新しい政権がマニフェストの実行に向け動き出す中、障害者自立支援法の改正や生活保護母子加算復活、高校の授業料無料化などは「いいぞ、いいぞ」と思って見守りながらも、八ッ場ダム建設中止の動きにかぎっては、その手続きを疑問に思わずにいられない。

地元の事情を知らないし、治水にかんする知識もないが、数十年に及ぶ、具体的でたくさんの人の生活が絡み、長い経緯がある問題を前に、マニフェストを一方的に突きつける前原国交相の姿勢には高圧的なものを感じる。
ああいうモノの言い方、進め方をするものではない。
「正しさ」を過信して理念を譲らない、あるいは計画主義的な態度というのは、頭のいい人にはありがちでよく遭遇するが、その根元には支配欲、コントロール願望があるのは明らかで、しばしばそのあまりの男臭さにげんなりくる。
主張の内容が弱者保護的だったり、脱構築だったり、フェミニン志向だったりするとなおさらいやな感じがするが、前原大臣の場合はそういうわけではない。

今回選ばれた国交省の大臣、副大臣の40代関西トリオ(前原・馬渕・辻元)はずいぶん奇妙な組み合わせで、かたや無駄をなくしてその分福祉へという発想、かたや政府主導の無駄は潰して小さな政府・自由で強い日本というネオリベ的発想と全然対極なのに、無駄なハコモノや公共事業はがんがんなくそうという最終地点では一致していているのが面白いというか、不思議だ。
いずれにしろ、八ッ場(なぜこれで「やんば」などと読むのだろう)ダム問題はどうなったとしても禍根を残しそうだ。