夏なのにナラトロジー

「あなたとなら・やまとじ」というJRのコピーがあったのを思い出す。
こちらは、訳あってナラトロジー

盆が終わり、高校野球の一回戦が終わり、ツクツクボウシが鳴き出すと、もう寂しさを抑えられないが、それでも夏の日々はすべて好きだ。
私は今って夏なんだと思えば、たいていの不幸は相殺されてああ幸せと感じられる。

夏にやることは何でもうれしく、そしてさらにあえて夏らしいことをやる。
渚を走るとまで行かないけれど、しょっちゅうスイカを食べる、何度も着替えてがんがん洗濯する、虫取りをする。
夕方、ビール缶をぷしゅっとやる時の喜び。

それでもナラトロジーの総復習っていうのは、何とも夏に不似合いで不機嫌になり、ムズムズしてくる。
(冬ならいいのだろうか?)

子供のように、暇な大学生のように、損得や下心――「ここ、論文に使える」「あれ読んでないとまずい」――なく読書ざんまいしたかったが、なかなかそうも行かない。
やっぱり子供と老人の特権なのか。