文庫の連鎖

ひと息つくのに適当に手にした文庫本を読んでみたら、文庫が文庫を呼んで採点そっちのけで文庫ざんまいとなる。
ポー、江戸川乱歩泉鏡花、ルルフォ、恒川光太郎久生十蘭、そういう系統の谷崎潤一郎、そういう系統の夏目漱石…。
初めて読むものも、ずいぶん久しぶりに読み返すものも。
しばしすっかりそっちの世界へ行ってしまったが、中でも面白かったのは、告白すれば実は初めて読む「高野聖」と谷崎の「柳湯の事件」。
前者は獣に変えられた者たちを制する女と蛭の林が、後者は銭湯の湯船に沈んでいるぬらぬらした亡霊が圧倒的なイメージである。

それにしても大正や昭和初期に書かれた日本語の会話文を読んでいると、滑稽なまでにスカした横文字混じりの口調が頻出する。

「…ほんまに目の保養をしました」なんて、ニヤニヤしているの。あたしの気持、お察しになれます?……パンセ・ヴゥってとこよ。 久生十蘭「猪鹿蝶」)

自動車における衝突の危険と、電車における感冒伝染の危険と、どっちがプロバビリティーが多いか。それから又、仮りに危険のプロバビリティーが両方同じだとして、どっちが余計生命に危険であるか。[…]無論どの自動車にも衝突のポシビリティーはありますが、しかし始めから禍因が歴然と存在している場合とは違いますからな。 谷崎潤一郎「途上」)


当時の人は本当にこんなしゃべり方をしていたのだろうか。
自分が対話の相手だったら、吹き出さずにはいられない。