黒沢清『トウキョウソナタ』

気分転換で出た夜の散歩のついでに、今頃だけど『トウキョウソナタ』を観た。
夜の散歩で映画だなんて、そんな都会人自分だけかと思ったら、映画館はけっこう盛況。
家族みんなが追いつめられた映画ながら、黒沢(清)映画の完成度だと、いつでもどれでも楽しめる。
最悪な状況なのに、自分も含めて観客からは笑い声がしょっちゅう起きる。
いや私は、映画などでふき出したりしがちな(最近ないが時には号泣したりする)オーバーアクションの変な観客なのだが。

雨がふき込みカーテンが大きく揺れるサッシの窓をあわてて閉めてふと思い直し、大きく開ける小泉今日子が魅力的だ。
月光に照らされて細い金色の直線になった波を背景にした小泉今日子も。
空の藍色がだんだん薄水色に変わってゆく時間の経過の中に立っているやつれた顔の小泉今日子も。

いつもながらあまりあるとは思えない寓話だが、これくらいギリギリのところにいるのではないでしょうか、実は誰でも。
やり直したい、でも積み重ねの中でもうどうにもできない、と足掻いているのではないでしょうか。
結局自分はひとりしかいないじゃないですか、信じられるのはそれだけでしょ、だったかという小泉今日子の台詞は胸にしみる。

佐々木家が住むわりと素敵な一軒家の周りの景色はなんだかなじみ深いもの。
東京ってどこもこういう感じだなと思っていたが、見ているうちに神泉・駒場・松濤界隈とわかってくる。