そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所(松浦寿輝)

僕の射精は一挙に高まった激しい噴出ではなくむしろ間隔を置いて何度かゆっくりと律動する甘美な痙攣で、だんだん間遠になりながらもその痙攣はいつまでもいつまでも続くようだった。最後のかすかなひくつきが終ってもそのまま僕はじっとしていた。薄目を開けると靴先にとまって凝固したように静止している黄色い蝶はまだそこにいて、ときたまほんのわずか弱々しく羽根を震わせるのでまだ生きていることが辛うじてわかる。一度終っても少女の中に嵌まり込んだままのものの硬度はほとんど衰えた気配はなく、しばらくしたらもう一回くらいは続けてできそうだった。そうしたくてたまらなかった。ゆっくりと死んでゆくという言葉が、それこそゆっくりと、記憶の底から蘇ってくる。少女の息の甘ったるい馥りがこの狭い空間全体に立ちこめているようだった。


込み入った本や新聞に出ている社会保障費の国庫負担増とか政府のCP買い切りとかの記事に目を通していると歯の痛みがますます強く感じられるので、食いしばったりしないようぽかんと口を開けながら五月雨式に捨てている文芸誌の小説になんとなく目を通していて、こんな文章に行き当たった。

鎮痛剤がそれでも効いているときの痛みはちょっとこれに似てるかなあと思って。
ゆっくりと律動する、いつまでも続く痙攣。
指を這わせると、傷を負った歯の周辺の歯茎がどくどくと脈打っている。
でもそれはありえないくらい穏やかな一瞬で、その前後には鋼みたいな脳天を衝く痛みがある。
こっちはゆっくりと死んでなんかいられない、ひと思いにこいつの息の根を止めてやるという感じだ。
それはゆっくりしたいだろうよ、こんな甘美な感覚の愉しみがあるんだったら。

明日は神経を抜本的に取り除く大工事をする予定。
これ以上やると治療でなく拷問になると医者にいわれ昨日は神経上部の処置だけだったが、夜中の痛みはすでに拷問だ。
神経のニョロニョロした絵を見せられ、今これが「煮えたぎっている状態」と説明される。
妙に文学的な表現にますます恐怖は募る。