大槻洋介ガラス展+記憶のこと

日が暮れてから通りかかったあゆみギャラリーの庭で不思議な白い光が揺れているのに惹きつけられ、屋内の展示も見た。
このアーティストのガラス作品は前にも見たことがあるが、今回は夜闇に映えるガラスの照明シリーズ。
中でも面白いのが、紐で吊り下げられた楕円のガラスの空洞に擦りガラスの小さな半円が入っており、それが白色LEDでぼうっと光っているもの。
他にもラリック風な感じの角ばったデザインなどいろいろあったが、どれも蛍光がかった白色に鈍く光っているのが新鮮だった。
白熱電球のあたたかい光というのはふつうに素敵だけれど、白色LEDの光が暗がりのなかでこんなにきれいに見えるというのは発見だ。

ところでパソコンを修理に出して10日も経つのに何の連絡もなく、さまざまなデータが失われたままな折り、一生懸命自分の過去を思い出しながら履歴書と研究業績書(どちらも消えたデータの一部)を書く。
職歴と学歴が錯綜するロンダリング人生、いろいろに記憶が混乱して苦労する。
私などより旺盛な仕事をされている方々は、つねにこうした書類を最新ヴァージョンに更新されているのだろうか。
年金問題のニュースで、過去に勤めた会社がどこだったか忘れてしまって情報がつながらず困っている人など見るにつけ「どれだけ間抜けなんだか」とつい思ってしまっていたが、まったく人のことはいえない。

記憶つながりで思い出したけれど、近頃、女友達より男友達の株がぐんと上がっている理由のひとつが、彼らのほうが人の話を聞いてくれるということ。
これは聞いてくれてうれしいということより(それもあるが)、以前話したことをちゃんと記憶していてくれてうれしいという意味だ。
人が一生懸命相手に向かって話したことを、相手が後々まで覚えているというのは興味を示してくれている証だし(困ることもたまにあるがおおむね)うれしい。
うわの空な人は次から次へ人の話を忘れてゆくし、変なところだけを曲解していたりする。
私の話は面白いんだから覚えているのが当然ではないか、というのもあまりに傲慢な言い方だが、実際思っている。
それとも覚えていてくれる人たちは、単に頭がすぐれていて記憶力がいいに過ぎないんだろうか。

この前、教えている学生には「他の先生と違って、先生はちゃんと名前を覚えていてくれるからうれしい」といわれた。
でも私も信じられないことを次々と忘れてゆく。