愛について

「愛」のお題をいただく。
愛のことなんか、ここのところまるで考えてなかったよな。
それとも、すべては大きな意味で愛についてなのかしら。
しかし『トリスタンとイズー』関連というのだから、やはりここは限定的な愛について語ることを求められているのだろう。
「恋愛について語ることはしませんの。恋愛はちょくちょくしておりますけれど」といったのは『失われた時』の脇役の何とか夫人だったが、いったい誰でどの場面だったろう。
(しかし使える、このフレーズ!)

どうしようかなと思いながら、何年かぶりにオペラ『トリスタンとイゾルデ』を聴く。
カール・ベーム指揮、ビルギット・ニルソンのイゾルデにウォルフガング・ヴィントガッセンのトリスタン。
ああ、この螺旋のような二重唱、今聴いても甘美さに気が遠くなるわ!
キャサリンの墓を暴くヒースクリフの後ろでも響いていたわね!

フランスの騎士の恋愛物語に対して、ワーグナーはどこかベタで野蛮なところがある。
アメリカス(メキシコ・カリブ)の『嵐が丘』にぴったりくるのも頷ける。
(よし、この線でいこう)

フランスの恋愛文学といえば、貴婦人の仕組む奸計などが主軸となることが多いけれど、実はあまり面白さを感じない。
おそらくは騎士道物語の延長にあるこうした文学では、それが作法であり洗練なのだろうけど。
私としては、スワンと高級娼婦オデットの恋と階級転倒の問題などもどうでもよく、やはりフランスの恋愛小説といえば、愛着をもっていたのは『ボヴァリー夫人』だった。
奸計などとは無縁の無軌道な間抜け女エンマ・ボヴァリーと、その描かれ方(文章のスタイルも含め)には共感をもつ。
エンマ同様、ヴィジョン(たくらみ的なものも含めて)をもち道を切り開いてゆくことの不得手という意味で「マダム・ボヴァリー、セ・モワ!」と思ってしまうのだ。