週遅れの追悼:アラン・ロブ=グリエ

ここ最近は用のない本棚である本を焦り探していたら、ふと数冊並んだアラン・ロブ=グリエに目が留まる。
ロブ=グリエ、そういえば亡くなったよなあ。
La jalousieを手に取り、めくってみると、一筆書きのヘビみたいな直筆サイン(どこがRでどこがGなのやら)。
そしてその下に「mai 96」。
その文字を書きつけながら長身をこちらに折り曲げ、すぐ目の前に来た耳の穴にはプラチナ色の剛毛が炎のように逆巻いていたのが思い出される。

あらゆることをロブ=グリエ中心に考えている人に文学的な説教をされ、険悪になった経験から、ここ数年いい印象がなかったが、別にそれは作家本人とはまったく関係がない。
La jalousieは、フランス語をある程度勉強した最初期に、通して読むことのできた小説のひとつだった。
カメラアイとか手法的なことがいわれるけれども、よくは知らないフランス語の原書で読んだせいか、寄る辺なく、不気味さばかりが印象に残る。

そしてこの小説は、私の中では、多和田葉子の『アルファベットの傷口』(後に『文字移植』)とそっくりなのだ。
La jalousieというのは和訳の通り「嫉妬」でもあるけれど、「ブラインド」のことでもあって、語り手はブラインドの向こう側をつねにうかがっている。
そこには熱帯の何かモノカルチャーの畑(バナナだったか忘れた)が広がっていて、それらがまるで集団で生きているかのようである。
『アルファベットの傷口』も、舞台はカナリア諸島とおぼしきところで、窓の向こうにバナナ畑が広がり、生き物みたいに蠢いている。
どちらの小説の語り手も熱帯の人ではなく、モノカルチャーのその光景に違和感を感じている。
他の人物が影のごとく現れるのもよく似ている。

といいつつ、ここ数年内に読んだ多和田葉子はともかく、『嫉妬』の記憶はあまりに古くて間違っているかもしれない。
熱帯の畑の話も、多和田作品と混同して、私が勝手につけ加えてしまったものかもしれない。