東京フィルメックス映画祭、ミケランジュ・ケイ『食べよ、これが我が体なり』(2006)

いろいろ象徴に満ちた作品だが(たぶん皆そこを語るのだろうが)、何より冒頭の空撮が圧巻。
あの長さ、そして適度なスピードで見せるハイチの俯瞰図はすばらしい。
鏡のようなカリブ海と波打ち際、赤茶けたトタン屋根のバラック群、残酷にえぐれて白い山肌(うーん、シュザンヌ・セゼールの詩的なエッセイ「大いなるカムフラージュ」の最初の部分を思い出すなあ)。
雪か永久凍土かと錯覚するが、赤道近くでそんなことあるはずないとすぐさま思いなおす。
ハイチの自然描写といえば、フランケチエンヌか誰かの短編にあった「粘液状の下痢の色」というあまりにすごい形容が強く記憶にあるものだから、そういう色でイメージしていた。
ここでは白。樹木がなぎ倒され、地表がえぐられ晒された。
そしてこの色は、その後に続く幻想的で演劇的な部分と、そこでの象徴とつながってゆくのだ(えぐられる島、喰われる体、キリスト、ブードゥー…たぶん)。
空撮以外でも、特に屋外での撮影が光る。
明け方のプランテーション、墓地、屋内だけどほの明るい光の加減がよいブードゥーの場面。
撮影監督は誰だろうと思って、フランスのサイトなども調べたが特に名前は出てこない。っていうことは、この辺もミケランジュ・ケイ監督のセンスということか。
白人の老女、その娘、そして黒人召使の青年と、黒人少年たちから成る演劇的な部分は、ラース・フォン・トリアーマンダレイ」のレイシャルな緊張感を想起させる。
さらに「マンダレイ」にはなかったセクシュアルな要素が入ってくる。
後のトークショーで監督は、どのようにでも解釈してほしいといっていたけど、どうしたって『黒い皮膚・白い仮面』の「白人女性と黒人男性」の章を思い出してしまうというものだ。
白人の娘のほうの役を演じてもらうにあたり、若くも年老いても見える女優を意識的に選んだと監督はいっていた。
黒人の国に迷い込んだアリスといった雰囲気の…
なるほど。で、このシルヴィ・テステュって何だか覚えがあるぞと思いながら、怯えたような頓狂なような表情、男の子みたいな体つきを見ていたが、何年か前にアメリー・ノトン原作の、日本企業をおちょくった『畏れおののいて』とかいう映画(ひどすぎて日本ではついに公開されなかった)の主演であまりにひどい日本語のセリフをしゃべっていた女優だ。
友人がこの映画の製作に関わっていて、彼女からこの女優がいかに神経過敏で不安定で撮影が困難だったか聞かされたのを覚えているが、そういう持ち味がよく画面に表れていた。
床で泣き叫ぶ黒人の赤ん坊を白い裸の胸に抱き上げると、赤ん坊はますます火がついたように泣くというのが印象に残る。
プログラムには英語タイトルで紹介されていたが、Mange, ceci est mon corpsが原題のようだ。