久間防衛相辞任

当たり前だが、久間防衛大臣が辞任。
こういうことが起きるたび、安倍首相は非常に中途半端な庇い方をしては、ますます世間の心象を悪くする。
問題とされる発言を首相自身が本心では問題とは思っていないことと、政治家としての判断力がないことがリンクして、こういう対応になるのだろう。
(何しろオフレコの場では、小型なら核保有も問題ないと言ってたような人だから)
これが小泉前首相だったら「何が悪いんですか? まーったく問題ありませんね」と、問題視するほうが馬鹿といわんばかりに平然としているだろう。
安倍晋三が首相になって以来、小泉純一郎の天才的な政治力がつくづく際立って感じられる。
小泉前首相は最近、安倍首相に「鈍感になれ」と進言したそうだ。
いろいろ批判されても、流行の「鈍感力」を身につければそのうち気にならなくなり、好きなようにできると。
要するに民意など無視してやればいいということで、国民を馬鹿にするにもほどがある話だ。
こんな能力、総理大臣が持っていいものじゃないだろ!
でも事実小泉前首相は、「人の話をいっさい聞かない」というふざけた戦法で、やりたい放題やってきたのだ。
「やりたい放題」といっても、小泉純一郎には特別信念などはない。
そこのところはまったく空洞で、権力掌握だけが目的だから強いのだ。
一方、安倍晋三は依存的だ。
改憲」や「集団的自衛権」や「教育基本法」、言い換えれば「美しい国」だか「戦後レジームからの脱却」だかは、信念というより依存の対象である。
ここまで国民の前に個人のコンプレックスをさらしている首相も珍しいと思うが、そのコンプレックスを経験や学習によってでなく、自分の出自の栄光、具体的には祖父と自分を重ねることで解消しようとしているのが、何とも見ていて恥ずかしい。
この点、最初はアルコールに、次にはキリスト教に依存してきたブッシュ現大統領とよく似ている。
改憲という点では意見を同じくする前原前民主党党首も、安倍首相の「信念」が知識に裏打ちされたものでないことを危惧批判していたが、安倍首相には自らの考えを必要な情報収集によって補強していく知的能力も、多様な意見の中で修正してゆくセンスも欠けているようだ。
というか、そういうことをすべてシャットアウトしてしまうのが依存ということであり、宗教ということなんだろうけど。
先週、宮沢喜一元首相が亡くなって、たくさんの人がいっていることだけど、隔世の感との感想をもった。
マクロ経済に通じていながらバブル崩壊の後始末に失敗するなど、日々動いているものには俄然弱い設計主義者の東大エリートならではの欠点をもっていたけれど、その歴史観には政治家がもつべき教養が反映されていた。
後藤田正晴にしろ(この人のほうが私は好きだった)、この時代までの自民党政治家には、基本的な教養があって政策や方針の違う相手と議論できる人々がいたのである。
やっぱり必要なことを勉強して知る、その知識を共有の土台とするっていうのは大事だ、当たり前だけど。
その点、安倍晋三をはじめ今の内閣の大臣たちにはみじんの知性も感じられないなと思ったら、久間防衛大臣も柳沢厚生労働大臣も東大法学部出身なんだな。
久間大臣の、問題となった講演から一連の釈明までを聞いていて、どうにも勉強ができる気配というのを感じないのだが、これはどういうことなのだろう。
結局、謝罪めいたこともいっていたが、その相手は自民党の仲間である。
「選挙を前にして迷惑をかけるから」などと、この期に及んでどこまで「国民」という意識が欠けているのだか。
「(原爆を落とされて)しょうがない」とか「子供を産む機械」とか、その発言だけを取り上げて、それだけが悪いということじゃないのだ。
その言葉づかいに当人のセンスがすべて表れてしまっているのだ。
センスっていうのはやっぱり、感性であるのと同時に、その人の世界に対する方向性ってことなんだと思う。