上田知事発言

前からかねがね疑問を感じていた上田清司埼玉県知事による、新規採用職員就任式での発言。
自衛官の人たちは大変だ。分かりやすく言えば平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」
「警察官も大変。人を見れば泥棒と思ったり、場合によって取り押さえなければいけない。じゃないとまともな人たちを守れない」
「崇高な使命のもとに人を痛めつける練習をしなくてはいけない仕事と違って、多くの人に喜びを与えて感謝され、自らも喜びを感じることができる仕事」
どこのメディアも発言をぶつ切りで紹介していて、そこに編集の恣意性がないとはいえないのだが、録音テープを聞くかぎり、だいたいこの通りの流れだったように思う。
抗議された上田知事の釈明は、「大きな流れではおかしくないが、そこだけ取ると確かに問題がある」
話の大きな流れとして全然おかしいでしょう!
「わかりやすくするために、きつい言い方になってしまった」
思いっきりわかりにくいでしょう!
人口700万都市圏のトップが職務上重要な場にのぞむにあたって、ここまでロジックの破綻した発言をあらかじめ自己検閲するだけの能力はなかったのだろうか?
たぶん知事がいいたかったことはこうである:
「人にいやがられる仕事もあるけど、県庁の仕事など楽して感謝されるんだから、ありがたいと思ってうんと働け」
そのようにわかりやすく伝える話し方は、他にいくらでもあったはずだ。
発言のなかで一番ぶれているところは、自衛官についての「国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」という箇所である。
最初は「人殺し」などといっておいて(「殺傷」というべきであった、なんて意味わかんない、同じです)、発言意図の中心である「県職員との比較」ではクサしておいて、後ではこう持ち上げているのである。
知事のこれまでの言動から察するに、これは本日の訓示の意図とは別にして、やはり何か愛国的なこと、憂国的なことをいっておきたいという心理の表れなのだと思う。
はからずも防衛省から不快感を示されてしまったが、たぶん彼は「人殺しの練習」という表現にさえ、さしたる嫌悪をこめてはいなかったのではないか。
畑和知事(革新系)の埼玉で育った私には隔世の感がある…

論理などまるで飛び越え愛国を主張する(というか隣国をむやみに貶める)若い世代を中心としたネットウヨみたいな存在は、わからないけど、どうしてそうなるのか想像はつくのである。
人より勉強ができなかったり、目端がきかなかったり、お金や地位を得られなかったり、つまり個人としては社会的にまるでうまくいかずに鬱屈した人々が、その解消の手段として「日本人」という抽象的で大きな括りで自分を読み替え、「韓国人」や「中国人」より優っていると思おうとする(だいたい彼らは、個別の韓国人や中国人と交流したことなどないのではないか?)。
気に入らない相手と見るや「あいつは韓国人だ」「いや中国だ」と決めつけ、それが悪口だと信じていることの不思議。
文末に「www」とつければ、上から相手を見下せると思うことの惨め。
こういう人は実は身の回りにもいるのだが、目の当たりにすると本当にこちらが自殺したくなるくらい惨めだ。

それで何が一番不思議かというと、うまく行かない若者ではなく、それなりに現世で目的を果たしたと思われる県知事や現都知事がしばしばこうしたメンタリティを顕わにすることなのだ。
何がそんなに不満なの? 何がそんなに不安なの?
誰かを攻撃してないと気がすまないという性分なの?
どうしてもわからない。
もっとわからないのは、こっちの頭がおかしくなるようなこんな話をされておいて(今回特に注目されたけど、首都圏連合の知事たちときたら、気をつけて聞いていればこんなのはしょっちゅうだ)投票する有権者の心理。
ディーゼル車が規制されてもカラスが減少しても、私はカンベンだ。