鄭義、高行健、家畜の快進撃

中国には全然詳しくないのに、中国人作家にはなぜか縁がある。
ここのところ仕事で高行健のことばかり。
時間がないので読みきれないが、大著二冊と発言に目を通す。
当局ににらまれて、アメリカに亡命したのが鄭義なら、フランスに移住したのが高行健
ノーベル文学賞が政治的なものなことくらい誰でも知ってるけど、やっぱりこれは鄭義にあげたかったな〜。
鄭義の小説のめくるめくような切ない感じ、夢も現実も混沌としてエロダサい感じがすばらしいのに比べると、高行健はややフランスかぶれ風にペダンティックでエロお洒落。
それにナイーヴ、世界との関係において。
ナイーヴが悪いとは思わないものの、賞の大きさと一億円の賞金という点を考えると、引き受けているものの大きさ、費やしてきたエネルギーをかんがみて、鄭義にもらってほしかった。
どこそこ版オデュッセウスというのは、やっぱりヨーロッパでは受けるようです。
ところでこの『霊山』って、受賞当時に英語版で途中まで読んでやめたことを思い出す。
邦訳が出たときは興味もなかったけど、時期による本との巡りあわせってあるものだ。

それにしても、フランス語に混じったピン音表記の漢字を探すのにひと苦労。
打ち込むのにひと苦労。
中国本土の意味を超越した簡体字、台湾の込み入りすぎた旧字、双方のすさまじさに打たれている。
「霊」のむずかしい字なんて、面白すぎて刺繍の図案にしたいくらい。
前も書いたが、私が人生で最初に覚えた漢字は「魔」だ。
鬼のうえに星がきらめく感じが好きだった。
これも刺繍で刺したい気分。
そういえば昨日、大学生協でまた「文字のあるところには魔があると思います。多和田葉子」の色紙を目にする。
筆跡も含め、いつ見ても恐い。
終わりになるにつれ、字がだんだん小さくなっていき、「ます」は「文」の6分の1ぐらいしかないのだ。
(関係ないけど、19日に紀伊國屋多和田葉子の朗読会がある)

通りを歩いていたら、大学生らしき若者が成績の話をしているのが耳に入る。
A.俺マジで語学は全部、キチクの快進撃だよ〜。
B.おまえ今、キチクっていわなかった? キチクの快進撃ってひどくない(笑)?
A.あれっ、そうだ、カチクの快進撃だよ〜。
B.(納得)
鬼畜の快進撃。恐すぎる。
家畜の快進撃。かわいい。家畜の群れに参加したい。