「アドリアナ・ヴァレジョン」展、原美術館

3年ぐらい前に「ブラジル:ボディ・ノスタルジア」展を見たとき、一番強い印象を受けたのがヴァレジョン。
立体的な古い世界地図のアフリカあたりが裂けて中から臓器のようなものが飛び出ているのを部分的に縫合してあるという作品や、一見清潔なキッチンタイルの裏からやはり血腥い臓器が見えている作品に胸を抉られる思いがした。
以前ユリイカの原稿で、ちょっとだけ触れた気がする。
今回の作品展はヴァレジョンが執着するタイルと水をテーマにした油彩が中心だ。
プールや浴場のタイルの升目と、それが水を隔てて不規則に歪む様子。
といっても、デヴィッド・ホックニーとは似て非なるもの。
ポスターになっている「ハンガリー人」もいいが、タイルが螺旋階段状に下っていき水の色が深くなった奥底が覗いている性的暗示に満ちた「窃視者」や屈折によるタイル模様の歪み具合がすばらしい「プリンセス」などに惹き込まれる。
ポリウレタンが入って立体的な「タイル壁」に切りつけられた跡のある「フォンタナの切り込みの入った壁」もよかったし、「入口の象徴Ⅲ」も印象的:ポルトガルのタイルの中央に全身天体の刺青の女性(写真作品との連関で考えるとおそらく食人種)、手には生首、タイルには臓器や乳房などが花とともに描かれている。
(恐がりでピアスもできない私がいうのもなんだが、刺青をするなら唐獅子牡丹でなく、こんな天体模様がいい)
墨絵風の海に陶器のかけらが散らばっている「昼夜平分線」、春画風の構図のなか日本人らしき女たちや黒人や貴族風の白人たちが楽しく交合していて、その馬鹿馬鹿しさについ見入ってしまう「室内風景Ⅱ」。サド好きというのはこの辺に表れているのか。
ヴァレジョンが生まれ育ったブラジルの歴史を考えてみるとき、ポルトガルのタイル(何ていう名前だっけ?)と食人種の刺青が溶け合って発する藍色や覗き見える臓物は、虚構としてのリアルを強烈に感じさせてくれる。これがなるほど、彼女のいう「架空の歴史」ということかもしれない。

ところで原美術館、前回来たのは昔々はるか昔、ソフィー・カルに取材したときだったな。
個人の痛みを素材にしたカルのインスタレーション、ヴァレジョンとどこかつながってるようでいて、やっぱり全然違っている。
ここは場所じたい(玄関と建物と庭)もとても気に入っている。
半円の浴槽を描いた「ハンガリー人」が、美術館の建物のなかでももっとも素敵な部分、窓が半円形に突き出したサンルームのような場所の隣に置かれているという展示もよかった。