猫、ウォルコット、バラバラ殺人

植物の向こうのベランダに目をやったら、猫が通り過ぎていった。
そういう幻を何度も見たけど、そんなはずはない、ノラーはもう死んだんだから、それにここは同じマンションではないし、前のように簡単に2階に上れるオープンな構造ではないんだから、と思ってみるが、やっぱり猫。
そしてノラーは茶色と灰色のキジトラなのに、横切った猫は黒白だった。
ベランダに出て、手すりから隣のうち方面を覗いてみると、数軒先の行き止まりで結局どこへも行けなくなった猫がちょこんと手すりに乗って困り果てていた。
しばらくして見失ってしまったけど、どうなったのか気にかかる。
気軽にうちに遊びにきてほしい。

昨日は研究会で、デレク・ウォルコットの戯曲『オデッセウス』抜粋を読む。
カリブ海の作家がヨーロッパ文学の祖であるホメロスをほとんどそのまま本歌取りして、地中海とカリブ海を完全にアナロジーで見るってどうなのよ、と思ったが、読んでみるととても含蓄のある、豊穣なテキストとわかる。
デモドコスのセリフ、The sea speaks the same langage around the world's shoresっていうのは心にとどめたい。

最近、バラバラ殺人が流行っている。
私は死体をバラバラにしたことはないが、桐野夏生の『Out』を読んだ時、いかに労力がかかることかを思い知った。
力はいるし、人間の脂というのはすごくて、ノコギリなどで切ってもすぐヌルヌルになって切れなくなるそうである。
二十歳前後の男子はともかく、華奢に見える32歳主婦などがよくも切れたものだ。
私は非力なので無理。
というか、過去を引きずりやすいタイプなので人殺しは無理。