デレク・ウォルコットの戯曲、Pantomimeを読んだ。
知的で洗練のきわみみたいな研究が多く、語感も何だかかわいいけれど、「ミミクリ」(模倣)って本来は、命がけの厳しさを伴っているものなはず。
ミミクリすることでその対象を自分の一部となし、いつの間にか離れがたくなって進化を遂げる。そうやってようやく生き延びられる人々がいる。
たとえば自分のなかにはさまざまな種類の自分がいる、ということを感じる人は多いだろうけど、自然にそうであるというより、ミミクリには追い詰められた強制の要素があると思う。
自分が社会の中心部分にいるなら(中心的思考回路を共有するなら)、周縁のものをミミクリする必要などなく生きられるのだから。
「彼女自身の名でいたら、彼女は窒息死したかもしれない。けれども自己の膜から抜け出すやいなや、四方八方へと広がり、あらゆる源の淵に住みつくようになる」(エレーヌ・シクスー)
「わたしと彼女とは/かつて裏切りあった相愛の友/たがいを映しあった二つの鏡だ。/わたしが彼女を逃れるとき わたしは絶えず/彼女にされる そして彼女と向きあうとき/わたしはむしろ になるのだ」(高良留美子)
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折しも大学図書館現代詩手帖を見ていたら、ウォルコットの訳詩(The sea is historyなどいくつか)が載っているのを発見。へえーと驚き、新号が出る前にと思って生協に走り買う。
帰宅して、ここ数週間にコピーしたもののごちゃごちゃを整理してたら、同じ現代詩手帖の当該ページのコピーが出てきて、へえーと驚く。どういうことだ。
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全身昨日のもみ返し。カリス成城でサイプレスのエッセンシャルオイルを買う。施術士の人に咳対策として勧められたもの。さっそく洗面器のお湯に垂らして吸入する。すーっとする香り。
お風呂に5,6滴入れたらとっても喉が楽だと思ったのもつかの間、肌がピリピリして大変なことに。かなり刺激が強いので、ほんのぽっちりしか使わないほうがいいようだ。