リービ英雄『千々にくだけて』(講談社、2005年)

あんまり気が滅入るので解消しに美容院に行ったら、逆に表参道で冷たい霧雨に吹きつけられて発熱。最寄りのヴェローチェで動けなくなる。私はヴェローチェの雰囲気やコーヒーの味が好きではないのに、いつもなぜか行かざるをえない因果であるようだ。
久しぶりの微熱ではない熱なので、ここらできっちり熱を出して、その感覚を反芻しようと思った。
前回高熱を出したのは、去年のマルチニック旅行中。寮に入れないとわかった直後、灼熱のアンティルギアナ大学キャンパスで大荷物を持ったまま動けなくなった。不定期のバスを乗り継がなければ首都に戻れず、一瞬目の前が真っ暗だったけど、予算オーヴァーしてでもその辺の高いホテルに泊まっちゃえばいいのだと思い直し、私って金満日本人だなあと感じたのを思い出す。
高熱の時の記憶って妙にはっきりしている。緊急の書類のダンボールがどうしても開けられなかったこと、力一杯キーボードを叩いているのに、画面に何も文字が出てこなかったこと、数行の事務的な文章なのに、ちゃんとした「てにをは」がまるで思いつかない頭の中。アメリカの強い解熱剤を飲んで、すごい勢いで熱が4度ぐらい下がっていく感じ。だいたい私はここぞという時に高熱を出してしまうので、自分を信用できないのだ。
今回の熱は関節が痛くなるほど高くなく、キーボードも叩けるけど、体中の粘膜という粘膜に鈍い疼痛がある。これもいつものことでとても不快。紅茶にニュージーランドのマヌカ蜂蜜とねりショウガを入れて飲み、オタネニンジンも飲んで寝てるけど、もう三日も引かない。昨日は力をしぼって階下のドラッグストアに「のどぬーるスプレー」を買いに行ったのに、忘れて歯磨き粉とパンを買ってきてしまう。体をほぐすため、ヨガの合せきのポーズをしたら、足の裏がすごく熱いことがわかりびっくりした。普段私の足裏は氷みたいに冷たいのに。
フランス語を読むのはきついので中断して、ベッドの中で今さらだけどリービ英雄の『千々にくだけて』を読んだらすごくよかった。ニューヨークとワシントンに帰省しようとしたら、9.11のテロ攻撃で空港が閉鎖され、カナダに足止めされたまま日本へ「帰る」男の話。
母国語であるはずの英語が頭の中で日本語に置き換えられてしまうさま、英語を話すのに古い記憶をこじ開けていくような感じ、万葉集の一節がバンクーバーという土地の複雑な入り江に、また航空機の突入で粉々になるビルのガラスの破片にとイメージが連なっていくさまなどが面白い。
面白いというより、同じ時を逆に渦中のワシントンの町の内側に閉じ込められた状態で過ごした者として感慨深いものがあった。頑なにテレビをつけず、その音声を町の雑音としてのみ聞くエドワードの姿に、引越しのためケーブルテレビを解約した直後で、中国人の友人からの電話で事件を知っても実感がなかったことや、その後毎日上空を低く飛んでいた軍用ヘリコプターの爆音、そしてその当時の夢のように孤絶した気分などを思い出す。
表題作の後日談といえる「コネチカット・アベニュー」は、まさに当時私を取り囲んでいた景色が単なる背景としてではなく、ここを離れて余所者となった主人公の孤絶感を引き出すものとして機能しているところに共感をもつ。
気づいたのは、たぶん意図的だと思うけれど、この人は絶対にアヴェニューと書かずアベニューと書く、コネティカットと書かずコネチカットヴァンクーヴァーと書かずバンクーバーと書くこと。私は場合によるけど、論文などでは「ウてんてん」を使う。でも、コートジボワールだけは悩む。コートディヴォワールって書くとあまりにスカしていて、何か全然違うもののような気がするのだ。