ソクーロフ『太陽』2004年

昭和天皇の描写といっても、多くは作り手の想像なのだし虚構なのだし、それを何ともいえないのだが。
イッセー尾形の「おかみ」は、確かに私の知っている昭和天皇とよく似ていた。表情や口の動かし方、しゃべり方。でもその多くは戦後、メディアに登場するようになってから、老人の域に入ってから身についたものなんじゃないだろうか。40代の壮年の男が、ああいうもぐもぐした表情するのかなあ。いや、するのかもしれないけれど。
特殊な環境で育った人独特のコミカルさというのはきっとあると思うし、それは描かれたほうがいいと思うけれど、ところどころイッセー尾形その人のギャグとなっていたのはいただけない。マッカーサーとの食事の席でわざとローソクを消して回るようなところは可愛いが、科学者とのドタバタやチョコレートの場面はやり過ぎ。何にしろ軽い。
福田和也が今週号の週刊新潮で大批判していて、私はこの人の見方すべてに与するわけではないけれど、納得するところもあった。ソクーロフの力点が神から人間へというところに置かれているのに、昭和天皇がいかように神であったのか、ソクーロフが(イッセー尾形も)理解していないから説得力がないというのは確かにそうだと思う。神として育てられた者の部分や、複雑な部分を感じさせず、ひたすら子供じみたところばかりが強調されている。
でも印象的な場面も多く、退屈はしなかった。空襲で燃え上がる町の空を飛行機のような魚類が舞い飛ぶという、海洋生物学者ならではの悪夢など、面白かった。
それはそうと、今時はメディアの昭和天皇さえも記憶がない人たちも多いのだろうな。昭和天皇傷痍軍人も、いつの間にかいない世界になっていた。だから靖国問題がこんなことになっているのかもしれない。
この人の息子があの人で、その息子があの人で、今の状況はこんな、と考えると感慨深い。
ふらりと銀座シネパトスに行ったのだが、整理券配布で一回では入れないかと思った。108番目で何とか入れた状況。