母国語の幸せ

フランス語を書きあぐねて、ついに書き終わったら、とたんに気持ちが晴れる。こんな苦悩の経験のたび、母国語ってつくづく自由を謳歌できる安住の場だよなあと感じてしまう。こうした実感をもてるって実は幸せなことではないだろうか。
解放感のせいで、次なる締め切りまでそれほど間がないながら、まる一日さぼり。手紙をいくつも書き、普段は見ない高校野球をこの数日にかぎって真剣に見ていたら、早稲田実業駒大苫小牧ナインの姿に打たれてひたむきにスポーツがしたくなり、この夏初めてプールに行く。水のなかで四肢を伸ばす解放感。屋内なのが玉に瑕。
先日お会いしたよしもとばななさんがあまりに作家っぽくなく普通なことに感動したため(それほど一般に日本の作家って作家っぽいのだ)、『TUGUMI』を読む。何しろ『キッチン』しか読んだことがなかったから。以前のように斜に構えず、積極的に評価したい気持ちでいるせいか、普通に文章を読むだけで「ばななさんらしい、すごいなあ」と思ってしまう。それから何人かの信頼できる人々に勧められたル=グウィンの『ゲド戦記Ⅰ』を読み始めた。そのうち一人には、「君は「名前」に関心があるようだから読みなさい」と言われた。今、宮崎駿の息子が監督した映画が上映されているけど、あまりに原作の意図を無視しているとかで、作者や愛読者が怒って問題になっているらしい。
カブトムシのメスは夜になると激しく暴れる。何度も羽を伸ばして、立ち上がって逃げたそうにしている。ずっと見ていると恐くなって、途中でこっちが逃げてしまう。