渡邊守章作・演出、創作能『薔薇の名―長谷寺の牡丹』宝生能楽堂

ポール・クローデルの翻訳者、注解者である作者による、「『繻子の靴』の余白に書き込まれていく詩人の深層の劇」。形式としては地謡や鼓をしたがえ、シテとワキとが登場する、一幕ものの完全な能である。内容的には、同時期に書かれたクローデルの『真昼に分かつ』のヒロイン・イゼの霊(シテ)と後世の詩人との交流。クローデルだけでなく、アマテラス神話、李白の詩、『トリスタンとイゾルデ』までごっちゃり詰め込まれていて、注解を眺めながら一幕見終わると、ものすごく教養が高まる。
能楽堂に来たのなど、数十年ぶり。有名な古典能を何本か見た経験から、能というのは世界一洗練された芸術で世界一動きのない退屈なものという印象をもっていた。わたしはどこかの馬の骨なので、「洗練」というものは憧れより怖さを感じるのだけれど、この創作能は形式はともかくかなり賑やかしく、教養主義も洗練を超えてやり過ぎで、シテとワキによる『トリスタン…』愛の二重唱など笑えた。だから感動はしなかったが、(周りの反応と違って)退屈でもなかった。
それにしても能楽堂とか国技館とかって、屋内にさらに屋根つきの家のようなものがあるのが前から不思議だ。ちょっと面白くてちょっと怖い。昨日の客層は、演出者の動員力なのか、東大のフランス文学および表象関係の錚々たる顔ぶれが集まっていて、今能楽堂の崩落事故が起きて全員死んだら、すごい事件になるだろうなあと夢想しながら観ていた。