たまたま手にした「エル・ジャポン」にパリ郊外で起きた暴動の特集記事が転載・翻訳されていた。現場となった郊外に住む女性たちに焦点を当て、話を聞いて構成したもの。インタビュー自体、特に変わった内容ではなかったが、企画としては興味深い。
なぜ暴動に加わっていたのは少年ばかりだったのか。少女や女たちはその時何をしていたのか。
雑誌で提示されていた具体的な問いは、今自分が考えていることともつながる。
なぜ「名前」をもとめる者とそうしない者がいるのか。真理の構成に向かう者と向かわない者がいるのはなぜか。ナショナルなものへの「憧れ」(反発も含め)から逃れられない者と無関心な者との差は何か。
名前をほしがらない者は「われわれ」という発想には向かわないけれど、それにしても集団的記憶の契機はあるのではないかというのが、今考えていること。
試験の採点をしてたら、みんなフランス語はイマイチだけど、暴動の背景の話などは興味をもってちゃんと理解してたんだとわかり、ちょっとうれしかった。二十歳ぐらいのJJに出てきそうなお洒落で可愛くて元気な女の子たちとマニキュアやバッグの話や将来の話などを話すのは楽しい。世の中、「モテメーク」とか「モテファッション」とか身も蓋もない言い方がキーワードになっていて、まさにそこにはまりそうな外見の子たちだけど、実際のところは「モテ」より自分が可愛いと思うように装っているのだと思う。だからほんとに可愛くて、いい年をしてつい真似したくなる(時々真似している)。
本当は日記に書きたいようなこと――美しいと思ったものや悲しいこと、脱力したことや考えたこと――がたくさんあるけど、論文がテンパッてて書けない。