シルヴィ・ギエム最後の「ボレロ」公演、市川市文化会館大ホール

4年ぶりぐらいに見るギエムは、肉体的にも表現の上でも大きく変貌を遂げていた。まずはラッセル・マリファント振り付けの小品「Two」。
スポットライトのなかに浮かび上がる筋肉質の上半身。もともと筋肉のつきやすいダンサーだが、特に上腕部の盛り上がり方はバレリーナと思えない。どんな動きをしたらああなるのか。その腕のすばやい動きの軌跡が夢のような光の残像を見せる。19世紀後半、ダンス創生期に活躍したロイ・フラーの効果を思い出す。すばらしいけれど、まだこれは序の口だ。
公演のハイライトとなるのはやはり「ボレロ」。音楽も振り付け・構成も全部知ってはいたけれど、ここまでのすごさを感じられるとは思っていなかった。身体能力、テクニック、表現力を超え、もはやギエムは求道者の域に達している。東京バレエ団男性ダンサーたちの群舞も生贄ギエムと一体になり、神話創生に貢献している(実際「ボレロ」は恐ろしい作品なのである)。ベジャールがお墨付きを与えているだけあって、このバレエ団の男性群舞のレベルは世界トップだと思う。
十数年前、20代後半で体力とテクニックがピークにあったギエムは、クラシックからモダンまで演目を選ばず何でも踊っていたのを思い出す。『白鳥の湖』では、直線の脚を耳まで振り上げる白鳥オデット、舞台の端から端までグラン・フェッテでぶんぶん回る黒鳥オディールの豪華な舞台が忘れられない。あれを見たら、クラシックのバレエなんてと馬鹿にしている輩だって、目を奪われずにいないだろう。
お姫様を演じる一方、フォーサイスの『ヘルマン・シュメルマン』では脱構築のねじれた動きをどのダンサーより完璧に踊っていたのがギエムである。上半身は黒のシースルー、黄色のミニスカート。脱臼したような音楽と一体になった機械のような動き。他のダンサーたちが持て余す肉体の余分さがいっさい感じられなかった。
30代半ばを迎えてからは、ダンサーとしての寿命を考え、演劇的要素の強い演目に絞っていたギエム。4年ほど前、ロイヤル・バレエ団のアメリカ公演での客演を見たが、「マノン」「マルグリットとアルマン」などの舞台には正直、強い感動を覚えなかった。旬は過ぎたかと一瞬思ったのだが、このダンサーはそんな月並みな人間ではなかったのである。
ついでながら、ベジャール作品を踊る上野水香を見られたのは収穫だった。ギエムと少し違うが、それでも生まれながらに人から抜きん出た体をもっているため、舞台の上で否応なく目立ってしまうところは共通している。ほとんど人間というより少女漫画の体形といえる。ギエムの神々しさにはまだまだ至らない若いダンサーだが、やはり魅力的で目を奪われてしまう。「ギリシャの踊り」というこの小品も、音楽・群舞の造型ともに面白くてよかった。