ウスマン・センベーヌ『モーラーデ』(フランス・セネガル合作、2004年)

東京国際女性映画祭にて上映。セネガルイスラム系部族に残る女子割礼(陰核切除)をテーマとしている。
6歳から8歳ぐらいとおぼしき女の子たち4人がコレの家に逃げてくる。陰核切除の手術をいやがったため。女の子たちは集団で切除をほどこす赤い衣の女たちのもとに連行されるが、出血のため、そのうち何割かは死んでゆく。コレの二人の娘もそうであり、唯一残ったアムトゥサの手術も拒絶した。手術を受けていない娘はビラコロと呼ばれ、結婚相手が見つからない。
古くから伝えられるイスラムの教えとして娘たちの陰核切除を強要する集落。男子の割礼と違っているのは、男子の場合、成長の暁にはそうなるかたちを施すのに対し、女子の場合は本来あるべき器官をまるごと切り取ってしまう点、性的快感を奪う点にあるだろう。「第二夫人」コレの苦痛に耐えながらの性交シーンは女児の悲鳴にかぶさり、痛々しい。
以前、人類学者が「女子割礼は批判されてるけど性別をはっきりさせるという意味だと思うんだよね」といっていて、人類学は所詮対象を対象としか見ないのだとショックを受けたことを思い出す。ここまで大きな苦痛より伝統文化が優先されていいはずはない。
女たちがよけいな情報をもつことを苦々しく思う村長一味は、すべての女からラジオを奪う。夫の沽券を理由に娘たちをすべて出せと迫られ、コレが夫から鞭打たれるシーンはあまりに残酷(会場ではすすり泣き。普通の人より泣きやすい私はなおさら)。男などすべからく絶滅するがよいと思わず激してしまうが、まあ、これは物語なんだから、と自分を抑える。というか、切除そのものを施すのは赤い衣の女群なのである(ヘアバンドの宝貝の飾りは女陰の象徴なのだろうか)。
それにしてもさすがセネガルは着倒れの国。黄色い土の家屋に鮮やかなグリーンや藍色や濃い黄色や赤や藤色の衣装が美しい。家屋をうろつく可愛い子ヤギやきれいな甕や臼やバケツ。女たちの華やかさが陰惨さを救っている。結局、最後は産む者としての女性賛歌の大合唱で終わるところはつくづくアフリカ的であると思ったが。