ローラン・プティ死去

振付家ローラン・プティが87歳で亡くなったことを知る。
プルースト――心情の間歇』日本初演の時、インタビューさせてもらった。
どこだったか北ヨーロッパ旅行中、2週間雪に降りこめられ、その間ホテルで『失われた時を求めて』を一気に読んだことがきっかけでこの作品が生まれたといっていて、「さすがフランス人」と思ったのを覚えている。
自分が一回目プルーストを(日本語で)読んだ時は1年ぐらいかかったから。

当時すでに、スター、ジジ・ジャンメールに振りつけていた絶頂期はだいぶ過ぎていた。
プルースト』の日本での舞台も、それほど評判がよくなかったように思う。
バレエ作品にすることじたいむずかしいとは思うが、「花咲く乙女たち」に多くの場面があてられていて、映画化されなかったヴィスコティのシナリオ(『ヴィスコンティプルースト』)の雰囲気にけっこう近いと私は感じた。

さっきまで授業準備のため久しぶりに読んでいたフランツ・ファノンより一歳年上の1924年生まれ。
「レペット」の創業者ローズ・レペットの息子だと今日初めて知る。
ファノンが白人の子供に「ママ、見て、ニグロだよ、ぼくこわい!」といわれ、愕然としたのと同じ頃、パリ・オペラ座のダンサーだったプティは、コクトー作品から想を得た「若者と死」や「カルメン」などで振付家としての才能をあらわし始めた。
ピンク・フロイド・バレエ」「ノートルダム・ド・パリ」など画期的な作品をいくつも世に送り、セルジュ・ゲンズブールニキ・ド・サンファルらとのコラボレーションでも話題になった。

ご冥福をお祈りします、プティさん。