魔のオルリー・シュッド、極悪非道のエール・カライブ

今月初め、オルリー空港で起きた最悪の事態について、同じ地域を旅行する人々への参考として、また自分の今後の対処を考える上でも、まとめておく。

3月3日早朝、成田からの夜便でシャルル・ド・ゴール空港に到着したその足で国内線のオルリー空港に向かう。
搭乗予定の飛行機はマルチニックのフォール・ド・フランス行きエール・カライブ便。航空会社のウェブサイトで直接予約し、Eチケットのレシートを持参していた。
搭乗時間の11時半には余裕の午前8時に手続きをしようとするが、搭乗カウンターに行くとパスポートに「Visa Shengen」なるビザがないことを指摘され、出発できないといわれる。
そんな話はこれまでに聞いたことがない!
以下、職員の若い男との会話
n「日本人がフランスおよびフランス領土に入国する場合、90日間以内の観光目的ならばビザは必要ないはずだ」
職員「日本人だろうが何人だろうが、ビザ・シェンゲンは必要だ。外国人がビザなしに入れない地域が決まっており、マルチニックはその中に含まれる」
n「数か月前だって、数週間前だって、知人がここから出発できている。いったい、いつから始まった制度なのですか」
職員「ずっと前からだ」
n「だったらその規定が書かれている書類を見せてほしい」
職員「書類はここにはないが、法律は法律だ」
n「ちゃんと事実を確認してほしい」
職員「警察に聞いたって同じことをいう。おまえは出発させない」

ということで信じがたいことだが埒があかず、仕方がないので空港内の警官に確認に行くのだが、ここからが悪循環の始まりである。
警官の詰所には、制服を着た三人の太った女性。フランスにかぎらず海外でよくあることだが、三人が三人とも「私たちに問い合わせると、事態はますます悪くなります」と顔に書いてあり、はたしてその通りだった。
n「下のエール・カライブの搭乗カウンターでかくかくしかじかのことを言われてしまったのですが、日本人はビザはいらないはずなのですが」
警官「ビザ・シェンゲンは誰でもいるわよ」
n「だって、半年前にも、二週間前にも日本人の知り合いがビザなしで搭乗している」
警官「あのね、あなたの友達の何とかさんが行けたかどうかなんて知ったことじゃない。でもその人たちも絶対ビザを持っていたのよ」

そしてエール・カライブの空港入口のインフォメーション・カウンターへ。
n「ビザ・シェンゲンがないと搭乗できないと言われた。そんなはずはないのできちんと調べてほしい」
職員「ビザ・シェンゲンは必要だ。あなたはこのままでは出発できない。タクシーでパリ市内のPréfectureまで取りに行きなさい。ここにどれだけいたって無駄よ。はい次」

もうすでに9時をまわっていた。
そんな馬鹿なと思いつつも、この空港内にいてはもうどうにも前に進まないので、Préfectureで証明してもらう他ないと考え、街に戻る。
ちなみにこの日の朝の気温は摂氏2度で北風が強く、体感温度はもっと低い。
こちらは熱帯が目的地でパリなど通過するだけなのだからとコートも着ていなければ防寒具もなく、おまけに重いスーツケース持参である。
空港バスでダンフェール・ロシュローに出て凍え死にそうになりながらタクシーを長い間待ち、まずは間違ってリヨン駅近くのPréfecture de Parisに行き、(何が正解なのか)間違いを指摘されてもう一度タクシーをつかまえ、シテ島のPréfecture de Policeのビザ課に行く。
パリで暮らした方ならご存知だろうけれど、ビザ課はごった返していて、私のような旅行者はおらず、アジアやアフリカ系の生活者が列をなしていた。
そしてもう搭乗時刻を過ぎたお昼前、やっと順番が来たのだが、本来ビザにかけては専門知識を持つはずではないかと思う担当の女性は声をひそめて妙なことを言う。
n「日本人がフランスの領土に入るのに、90日以内ならビザは不要なはずでしょう」
職員「そう、ここ本国ではそうなの。でもね、海外県は海外県の理屈で動いていて、向こうの許可なしには事は進まないの。だからやっぱりビザは必要なのよ。これはね…(眉をしかめて)ものすごくむずかしいケースです。まず今日の出発は無理ね。ちょっと確認してきます」
(しばらくして戻ってくる)
「今日は無理ですが、明日木曜も無理です。…そしてあさってはもう週末ですから、海外県の仕事がストップします。早くて来週月曜から手続きね。この書類に記入して、写真を貼って」
ちなみに今回は時間がとれず、たった一週間の滞在予定なので、それでは行けないと言われたのと同じことだ。
n「そんな、金曜はまだ週末じゃないじゃないですか」
職員「あなたの常識ではそうでも、別の場所ではそうじゃないんです。もうこれ以上言っても無駄ですよ、はい次」

ということで、初めは無知な航空会社職員のミスだと高をくくっていたのが、すべてが悪い方に転び、誰もがカフカの小説に出てくる理不尽な官僚たちのようで、航空券もパスポートも持っていながら、そして現地では迎えも来るというのに行けないという事態に陥ってしまった。
今となっては信じられないのだけれど、Visa Shengenなるものについて初めて聞き、さらにその規定をここまで誰も見せてくれないのだから、「もしかしたら日本人を対象にしても実際そのような緩い規定があり、普段たいていの人は搭乗できるものの、とりわけ規則に厳密な職員にあたるとこういうことが起き、それに反論はできないのかもしれない」とその時は考えたりした。
フランス本国経由ではないが、以前別の友人がやはり何の非もなく強硬にマルチニック入国を拒否されたという記憶もその考えに加勢している。
さらに今考えるとまったく的外れで笑えることながら、ビザ課のおばさんが言った変なことに影響を受け、「マルチニックの自治・独立に共感するところがあるのであれば、この場合のように本国とは別のルールで動くという面も受け入れるべきなのかもしれない」とまで考えてしまった。

しかしショックだった。
一晩のフライトの疲れと寒さと重さと理不尽な思いで貧血を起こしており、これ以上外で動く力が出ず、ひとまずどこかホテルで休むほかない。
幸い、数ヶ月前滞在したシタディーヌが手頃な値段にもかかわらず部屋が広く、日当たりよく、キッチンもバスもついていて心地よかったという新しい記憶があったので、シテ島をわたったところで見つけたネットカフェに入ってすぐに予約し、プラス・ディタリーまでタクシーに乗りチェックインした。
そして何とか人心地はついた。
ああでもわざわざ無理して時間を作って来たのに、私はこのクソ寒く暗いパリでバカンスを過ごさねばならないのだろうか、それとも国際列車でハイデルベルクの森の中に住む友人を訪ねようか、いずれにしてもスーツケースの中にはTシャツとビーサンと日焼け止めと虫よけとアースノーマットと水着ばかりが入っていて、気持ちのモードはすでに気温30度以上に設定されているのに?
(つづく)