ヒトデナシな人々と重病人のガールズトーク


非常勤講師控え室でも入院病棟でもそうだが、なぜ女子はたちまちコミュニティーを作り、男子は同じテレビの国会中継など見ながら、お互い無言で牽制しあっているのだろうか。
やはりこれは普遍的な傾向なのだろうか。

放射線治療や大手術を受けながら、パジャマ姿で四六時中宴会を開いている女性患者たち。
麻酔科のイイヅカ先生は確かにイケメンかもしれないが、「あの子、ほんとにかわいい」などといって大盛りに盛り上がっている。
そのかわいい人とは、半裸とはいえセクシーとはほど遠い、お尻だけをぺロっと出して海老のように蹲ったどうにもならない姿で接しているはずなのに、よくもまあ、というか、みんな大したタマだと思う。

彼女ら重病人の「枯れていなさ」に深く感銘を受ける一方で、病状を聞いた一部の人々のリアクションを耳にするにつれ呆れる。
患者側が慰めなければいけないほどオイオイ泣き出す人、そうそう、最初は小さいの、それがどんどん大きくなって、あーっという間にもう手遅れになっちゃうのよ、などと平気で言う人、○○さんも○○さんも亡くなって、今度はあなたまでいなくなるなんて…と寂しがる人。
悪いけど、まだ死ぬときまったわけじゃないですから。

こうした発言者の何人かがいわゆるメンヘル系であるのを知り、またも「ああ」と思う。
彼女たちの関心はつねに「私の心の状態」にしかなく、話を聞いてもらえることで相手にはなついているのだけれど、弱い状態にある相手の立場になって発言することがなかなかできないのだ。
鬱の人々との関係はむずかしく、いくつかの身近な経験でも私はよき理解者になれたことがない。
彼らの想像力のなさに、どうしてもある瞬間ぶち切れてしまうのである。