危機になれば関西弁

家の者が依存している酒類が「まけへんで」という見慣れぬ銘柄に変わっているので理由をたずねてみると、長くとぎれがちな説明からわかったことは、ずっと昔、夫が進行した胃がんであることを医師から宣告された義母(私の祖母)――女の子っぽくおセンチなところがあった――があたかも自分を鼓舞するように「まけへんで」と呟いたのをそばで聞いたことがあったのだそうだ。
やたらに勝ち負けを言いたがる世の中で、何が「勝つ」で何が「負ける」かなどと単純には言えないとは思いつつ、「まけへんで」と自分を鼓舞しながらその台詞を銘柄にした酒類にひたすら依存しているだけの場合、いったいどういった種類の「負けていなさ」が成立するのだろうかと非常に疑問に思う。
当の祖母(故人)は娘の肩越しにも現れて、微笑みながらひと言「がんばりや」と呟いたそうだ。
「がんばりや」と「まけへんで」の色紙でも作ろうかと思う。
「がんばりや」と同義でよく使われていた「おきばりや」という故人の声も思い出される。