斎藤環『関係する女 所有する男』

地図を読むのが好きで好きでたまらない女子としては、こういう男女二元論ものは通常信用しないのだが、それでも手にとってみようと思ったのは、桐野夏生が推薦していたから、そして表題にわりとピンとくるところがあったから。
しかし全体としてすっきり納得できない読後感だった。

著者の支持する「ジェンダー・センシティヴ」というあり方――「ジェンダー・フリー」と違い、ジェンダーを必要なときは考慮に入れ、必要ないときは無視する――には賛同できる。男女の違いを脳の機能に帰結させるたいがいの本がトンデモ本だという冒頭の主張も、医者である著者にいわれないまでも、たぶんそうなんだろうと思う。

その導入に続くのが、表題そのものである著者の主張。
ラカンの研究者である著者は精神分析の立場から、仮説といいつつ、この二元論を最初からほぼ真実であるかのように展開してゆく。
論拠は見えない。
精神分析的にはそういうことになっているから、ただひたすらそう説得されているようにしか感じられない。

そもそも私自身、この表題には何となく同意している者なのである。
「所有」についてはもちろん、男の人って「関係」の生を生きていない人が多いよなー、だからわざわざ「関係」なんてことを概念として取り入れなきゃならないんだな、と感じたりするから。
そしてこの本には、もっと、そうそうそう、と共感できるような繊細で視野の広い記述を期待していた。
「男の所有」そのままに、もともと確信している結論を押しつけようとするのでなく。

……書き続けると匿名ブログでの大批判になりそうだからやめておこう。
とにかく私は、自らの足元を疑わない態度全般がとても苦手なのだ。
ペニス羨望とかヒステリーとか、真顔でいってる人々も。
(しかし、女子が男子よりジェットコースター好きなのはもともと足元が危うくても平気だからなんてなー、呆れる!)

著者によると、女性は四六時中、体が冷えるとかここが痛いとか痺れるとかの身体症状を自覚し続けているが(私は人並み以上にそうである)、男性はたまにかゆい時、痛い時ぐらいしか身体を意識しないらしい。
えーっ、本当だろうか?
本当だとしたら、それは確かにまったく別の生き物であると思う。