9月のお題:シュザンヌ・セゼール

夫婦別姓法案が再び話題になっているが、シュザンヌ、シュザンヌと原稿に書き続けていて、バラエティタレントではあるまいし、何だか腑に落ちないながら、セゼールと書いたらどうしたって誰もがあのセゼールを思い浮かべてしまうし、と困っている。
シュザンヌ・ルスィと旧姓を名乗っていてくれたらよかったのに。

夫婦別姓問題は、理詰めで考えると、夫の姓か(たいがいは)父の姓、どちらにつくかということになり、どのみち姓など家の所有の範囲を意味しているのだから、あまり真剣に向き合う問題な気がしない。
野田聖子など、あくまで父の家の名を守りたいから推進派なんだし。
個人の気分や意志という面からの主張ということもあるんだろうけど。

ところでこれを書き終わらなければ10月が始まらなかったシュザンヌ論がぎりぎりで終わりそうでよかった。
先週から微熱が出ていてけっこうきつかった。
なのに相変わらずの話の長い老人ぶりを発揮してしまい、途中で制限枚数を超過して大幅カットする。
結局、熱を出しながら書いた10枚ぐらいは捨てることになり、その時間ゆっくり寝ていられたはずということになる。
こちらの脳が整理されていないのがいけないわけだから、これは自己責任か。
春に書き過ぎた300枚ぐらいを泣きながら削ったのに、全然反省が生きていない。

おかげでシュザンヌ・セゼールとはだいぶ仲良くなった。
期せずして別稿に譲ることもいろいろできたし、またつき合おう。